自由気ままに生きたんだ。

桂ゆきが、若い頃日本画を習っていたなんてことは知らなかった。私が知る桂ゆき、元気印の女流画家であったから。その桂ゆき、今年は生誕100年だそうである。昨日記した後藤亮子からいえば、30数年先輩である。

1913年生まれの桂ゆき、戦前と戦後をつなぐ代表的な女流の一人である。
日本画を学んだ後は、藤田嗣治などにも教えを受けている。吉原治良と知り合うのも戦前、滝口修造ともその頃、戦前である。戦後、1946年には、三岸節子などと共に、女流画家協会を創立している。陸上競技に例えれば、女流画家のファイナリスト、と言って過言でない。
今、その桂ゆきの回顧展、木場の東京都現代美術館で行われている。タイトルは、「桂ゆき ーある寓話ー」。
これが、思いの外面白い。

これ、タイトルは、≪作品≫。そっけない。
油彩、紙、板。1965年の作。
タイトルはそっけないが、どこか惹きつけられるよ。

≪無題≫。写真、紙。1930年のコラージュ。
桂ゆき、若い頃から晩年まで、終生コラージュを試みている。紙ばかりじゃなく、コルクや木片を使ったものも多く。

このタイトルも、≪無題≫。水彩、鉛筆、紙。

≪人と魚≫。油彩、カンヴァス。1954年作。
太平洋上、ビキニ環礁近辺で、日本の漁船・第五福竜丸が死の灰を浴びた。アメリカの水爆実験。漁労長・久保山愛吉さんが亡くなった。この作品は、それへのプロテスト。
しかし、そう言われなければ分からない。曲線が多いってこともあるのかな。
この後、1956年から1961年にかけて足掛け6年、桂ゆきは長い旅に出る。
まずパリへ行く。パリを拠点にヨーロッパを巡り、アフリカへ。その後は、ニューヨークへ。
ヨーロッパ、アフリカ、そしてアメリカ、背景の異なる3大陸への長旅は、画家の自由度を弥増したであろう。彼女の作品を見ていると、境界を自由気ままに越えているような感じを受けるもの。

これは、花田清輝著『冒険と日和見』(1971年、創樹社刊)の挿画やカット。
桂ゆき、多くの書への挿画や装幀も行っている。中でも多いのは、花田清輝の書への挿画や装幀。
桂ゆき、花田清輝とのつき合いは遥かに遡る。1947年、岡本太郎の誘いで「夜の会」へ出た時以来の模様。花田清輝と桂ゆき、どういうつき合いをしていたのか、気にかかる。

≪おいも≫。カンヴァスに油彩。1987年の作品である。
同じ頃の作品に、≪大根様≫というものもある。大根が描かれている。また同じ頃、赤い布でお釜(昔、ご飯を炊いたお釜)を創ったものもある。
桂ゆき、自由気ままに創作している。

この目も。

自由気ままに生きた桂ゆきの回顧展、思いの外面白かった。