バー十月 10周年(続き) 舞踏。

今日、早速、かずこさんからお礼メールがきていた。客商売、こうでなくっちゃいけない。
メールの文中、こういう個所がある。
<一人一人ゆっくりお話し出来ませんでしたがまた
個人面談などしたいです>、との。
個人面談、また来てください、ということ。10年の経験が言わしているな。十月、あと10年も大丈夫であろう。
話は、変わる。
ところで私、胃を切り取って骨と皮になって以来、男女を問わず、身体の大きな男や小柄でも引きしまった身体の人間が好きになった。
相撲取りでは、アンコ形の力士が好きだ。贔屓力士は豊響。今を盛りの照ノ富士も好き。女性アスリートでは、短距離のエース・福島千里の腹筋も堪えられない。身体表現のダンスも、クラシックからコンテンポラリーまで、すべて好き。
もちろん舞踏も。
最後に観た舞踏の公演は、20年近く前。その手のものには詳しい若い男に誘われ観に行った、田中泯の舞台。田中泯、今では舞踏からは距離を置いているようだが、その時の踊り、知的、静謐な舞台であった、という印象がある。
昨日、久しぶりに舞踏のパフォーマンス、目の前にした。

今度十月へ行った時には、訊かなければならない。このギタリストの名を。
素晴らしいギタリストであった。
ドゥェンデ、激しく深いフラメンコの調べに乗り、若い女が現われた。

バーカウンターとテーブルや椅子の間に、高さ1メートル、幅10センチほどのしきりがある。
ドゥェンデを思わせるフラメンコギターにあわせ飛び出してきた若い女、そのしきりの上にダイブする。幅10センチほどのしきりの上に。
体操競技の選手が、平均台の上に飛び乗るように。体操選手は平均台に足で立つ。しかし、この若い女は身体全体で幅10センチばかりのしきりの上にダイブする。

この若い踊り手は、高橋芙実。版画家である。
が、身体表現である舞踏の世界にも足を踏み入れている模様。

この力の抜けた手首、これは舞踏の世界である。

舞踏のリアルな舞台は久しく見ていないが、映像ではその時折りに観ている。
一昨年、2013年春、国立近代美術館でフランシス・ベーコン展が催された。
フランシス・ベーコンの作品にインスパイアされた土方巽の作品が流されていた。1972年の土方巽の舞踏「疱瘡譚」。

高橋芙実の舞踏は続く。

昨年末、MOT(東京都現代美術館)で「新たな系譜をもとめて」というタイトルを打った催しが行なわれた。野村萬斎がプロヂュースした。

サブタイトルは、「跳躍/痕跡/身体」。

ニューヨークで「三番叟」を踊る野村萬斎ばかりじゃなく、大野一雄、土方巽、観世寿夫の映像が流された。
眼福、眼福であった。

高橋芙実の踊りも素晴らしい。

また幅10センチばかりのしきりに、飛び乗った。

下へ。

床へ。
踊り手、何を思う。

高橋芙実の舞踏、終わる。
素晴らしいパフォーマンスであった。