ゴッホ展 巡りゆく日本の夢。

1853年生まれのファン・ゴッホがパリに移ったのは1886年、印象派の時代である。ゴッホも印象派の影響を受ける。
さらに、1880年代のパリ、ジャポニズム真っ盛りの時代でもある。大量の浮世絵が彼の地に渡り、多くのアーティストを魅了していた。ゴッホも然り。浮世絵の模写というかインスピレーションを受けた絵を描いている。

昨年末の上野公園。

今回のゴッホ展、オランダ・アムステルダムのファン・ゴッホ美術館との国際共同プロジェクト。6年前から協議を進めてきたそうだ。

東京都美術館内の柱にもこのポスター。

会場入口横の大きな看板にも。

チラシにも。
公園内の看板から何から何まで、すべてにこの絵がフィーチャーされている。
ファン・ゴッホ≪花魁(溪斎英泉による)≫である。
1887年、油彩、綿布。
ゴッホのジャポニズム、日本に対する憧れがあふれかえっていた頃と言える。

ゴッホが惹かれた溪斎英泉の≪雲龍打掛の花魁≫。

ゴッホと言えば自画像も外せない。
≪画家としての自画像≫。
1887/88年、油彩、カンヴァス。

≪夾竹桃と本のある静物≫。
1888年、油彩、カンヴァス。

≪寝室≫。1888年、油彩、カンヴァス。

≪ポプラ林の中の二人≫。
ファン・ゴッホ、死の年・1890年の作。油彩、カンヴァス。

≪種まく人≫。
油彩、カンヴァス。
この作品、広重のこの浮世絵にインスパイアされたもの。

歌川広重≪名所江戸百景/亀戸梅屋敷≫。
1857年(安政4年)、木版、紙。
オランダ・アムステルダムにファン・ゴッホ美術館がある。世界中からゴッホファンが押し寄せている。日本人も数多く。
2007年の暮れに訪れた。
日本語の図録は当然のこと、日本語による書籍が多く出版されている。

この『ファン・ゴッホと日本』という書もそうであった。
「ファン・ゴッホ イン フォーカス」というファン・ゴッホ美術館が企画・構成の中心となり発行しているシリーズ書籍の中のひとつ。
著者のルイ・ファン・ティルボルフという人は、ファン・ゴッホ美術館の学芸研究員である。

同書の中、溪斎英泉にインスパイアされたところを。

溪斎英泉の「花魁」を。

この書の表紙にも使われている≪花咲く梅の木、広重作品模写≫。

トレースして。

ゴッホ、日本の貿易会社・起立工商會社の木箱の裏にも絵を描く。

1890年、ゴッホはパリ近郊のオーヴェールで死ぬ。
その後、数多くの日本人がゴッホ所縁の地を訪ねる。日本人によるゴッホ巡礼である。
佐伯祐三≪オーヴェールの教会≫。
1924年(大正13年)、油彩、カンヴァス。

ゴッホの最後に立ち会った医師・ガシェの許にも多くの日本人が訪れている。これは1939年(昭和Ⅰ4年)、高田博厚と友人たちがガシェを訪ねた折りの模様。
日本人のゴッホ好き、今に至るも延々と続いている。
音声ガイドは常盤貴子によるものであった。常盤貴子の声音、自然な感じでよかった。


会場の終わりに「ゴッホ風の自画像が撮れます」、というコーナーがあった。イスに座り前方を見て、スマホで自撮りする。フェイスマッピングということらしい。
それをやったが、ゴッホ風とはほど遠い。
で、その画像にさまざま手を加えていった。

と、こうなってしまった。ゴッホ風をだいぶ通りすぎてしまったようだ。
少しやりすぎてしまったようだな。
ま、それでもよしとする。
ゴッホ風かどうかは別にして。