MOMATコレクション。

瀧口修造はまだしもゴードン・マッタ=クラークには参った。
ついでである。東京国立近代美術館の今のコレクション展示で中和しておこう。

MOMATコレクション展。
東京国立近代美術館前の看板。その下の方には・・・
常設展は18歳未満、65歳以上は無料である。なお、東博も常設展は年寄りは無料。徐々にそういう流れとなっている。世界基準に近づいている。

「ハイライト」と題する一室がある。

とても趣きのある部屋なので、「ハイライト」なんて言葉でなく、もう少し奥行きのある名称にしてもらいたい。

川端龍子≪草炎≫。1930年(昭和5年)。絹本彩色。

近寄る。
後年の荒々しい筆致とは異なり、優美、嫋やかな龍子。

小林古径≪唐蜀黍≫。1939年(昭和14年)。紙本彩色。
右隻と左隻の対称の妙。

原田直次郎≪騎龍観音≫。1890年(明治23年)。油彩、キャンバス。

ドイツで油絵を学んだ原田直次郎、観音さまと龍という架空の存在であるものをリアルに描いている。

こちら。

萩原守衛≪女≫。1910年(明治43年)。ブロンズ。
手を後ろで組み、膝をつき、身体をひねり、顔を上げている。
制作年は1910年であるが、その十数年前、若い萩原守衛は新宿中村屋の相馬黒光と会い、三つ年上の人妻・黒光に思いを寄せ、恋い焦がれる。心の焔は燃え滾る。しかし、所詮叶わぬ恋であった。
1910年、この像を見た相馬黒光は打ち震えたそうである。何故故か・・・

確か音声ガイドで流れていたと思うが、相馬黒光の息子が「これお袋によく似ているよね」、と言っていたらしい。
そう、萩原守衛、恋い焦がれた相馬黒光を頭に置き、この≪女≫を制作していたんだ。だから、似るのは当然だ。
作品自体、凄い存在感をもっている。近代日本の彫刻史に残る絶品である。
ひと月近く前、東博へ行ったらこの作品が展示されていた。彫刻であるのであちこち幾つもの作品があるのは当然。
東博では、萩原守衛ではなく、萩原碌山の名であったが。

黒田清輝≪落葉≫。1891年(明治24年)。油彩、キャンバス。
<フランスでラファエル・コランから外光派表現を学んだ黒田、印象派へ通じる表現も・・・>、との説明あり。

中村彜≪エロシェンコ氏の像≫。1920年(大正9年)。油彩、キャンバス。
エロシェンコ、ロシアの盲目のエスペランティストであり作家である。日本へ来て、新宿中村屋で世話になってもいた。相馬愛蔵と黒光夫婦が営む新宿中村屋、あちこちから来る芸術家などを受け入れていた。梁山泊と言ってもいいんじゃないかな。
萩原守衛のように相馬黒光に恋い焦がれる男もいれば、インド独立の志士、ラース・ビハーリ・ボースのように、故国を追われ日本へ逃れてくればかくまってもいる。新宿中村屋である。
その新宿中村屋が今もあるのは、嬉しい限り。

安井曽太郎≪金蓉≫。1934年(昭和9年)。油彩、キャンバス。
「金蓉」は中国風の愛称で、モデルは満洲で仕事をしていた小田切峯子という日本人だそうだ。
小田切峯子さん、5か国語に通じていた、という。満洲、そういうところだったんだ。

こちら側。

安井曽太郎とくれば梅原龍三郎である。
梅原龍三郎≪桜島(青)≫。1935年(昭和10年)。油彩、キャンバス。
梅原は、1934年から1940年まで毎年のように錦江湾を一望できる宿を訪れていたそうだ。

古賀春江≪海≫。1929年(昭和4年)。油彩、キャンバス。
海には魚と潜水艦、空には鳥と飛行船、両横には工場とすっくと立つ女性。自然のものと、人工的なものを対比している模様。
今では、とても古臭い感じを受ける。昭和初期なんだ、という時代を感じる。

靉光≪眼のある風景≫。1938年(昭和13年)。油彩、キャンバス。
シュールの魁。

松本俊介≪N駅近く≫。1940年(昭和15年)。油彩、キャンバス。
都会風景である。その中に戦争が近づいている気配を感じる。


絵を見たなってことを感じる。