花漠。

3日前に「老人と若い親子の桜」で記した近所の公園へ、その1週間後、また行ってみた。4月に入って何日か後のこと。

公園の周りの桜木、葉桜とは言わないまでも盛りは過ぎ、木に留まる花は少なくなっている。
平らな公園の中央部、どこかうっすらと化粧をしたように見える。十分とは言えないが、花漠である。

「花漠」及び「花の漠」という言葉、「花屑」や「花の塵」よりは趣きがあろう、と3年前私が造った新語。
その後、「人口に膾炙して・・・・・」、というようなことは全くなく、私以外にこの言葉を記している例を知らず。まあ、いい。
その前に、これは凄い、これは美しい、という現実の花漠が現れることが必要だ。私自身も、そのような花漠を見てみたい。近場の公園ぐらいにしか行っていないので、「オッ、これはっ」って状況に行き当たっていないのが実情。

このような状態、既製の「花筵」だろう。

花びらが散り敷いていても。

この日、4月4日、近所の公園の花漠、十分ではないが、こうして見るとなかなか趣がある。美しい。
昨年は、花の時季旅行に出ていた。日本の桜花を見るのは2年ぶり。近場の桜ばかりであるが、3月20日過ぎから4月初めにかけ、駆け足で過ぎ去った今年の桜花、それはそれなりに楽しかった。