大震災、満2年(続き×2)。

明治29年(1896年)6月、岩手県沖を震源とする巨大地震が起きた。「明治三陸地震」、と呼ばれるもの。津波も襲った。2万人を超える死者が出た。その2か月後、宮沢賢治が岩手に生まれた。
昭和8年(1933年)3月、岩手県沖を震源とする巨大地震がまた起きた。「昭和三陸沖地震」。死者1500人余。その半年後、宮沢賢治は岩手で死んだ。
37歳。短い生涯である。

宮沢賢治の生前、刊行された唯一の詩集『心象スケッチ 春と修羅』。
大正13年(1924年)刊。発行所は東京京橋区の關根書店。しかし、実情は自費出版。印刷所も岩手県花巻の印刷所。そうであろう、昔も今も。
どのページを開いても、心に響く。
183ページにしよう。
    この雪はどこをえらばうにも
    あんまりどこもまつしろなのだ
    あんなおそろしいみだれたそらから
    このうつくしい雪がきたのだ
        (うまれでくるたて
         こんどはこたにわりやのごとばかりで
         くるしまなあよにうまれてくる)
    おまえがたべるこのふたわんのゆきに
    わたしはいまこころからいのる
    どうかこれが天上のアイスクリームになつて
    おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
    わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
「永訣の朝」の最終節。