5年になる。

遅い昼飯を食べようとしていた時であった。グラグラッときた。デカい地震だということはすぐに解ったが、あれほどの津波が襲い、原発事故まで起こるとは、その時には解らなかった。
それから5年になる。
NHKをつけ、2時46分を待った。

政府主催の五周年追悼式。

2時46分となる。
黙祷。
内閣総理大臣・安倍晋三以下三権の長、ついで麻生太郎以下の閣僚も。

天皇、皇后両陛下も。

まず、安倍晋三の挨拶が。

天皇陛下のお言葉が。

3時すぎ、NHKの画像、各地からの映像に切り替わった。
これは陸前高田。陸前高田、1700人もの人が津波の犠牲となった。

高台での献花台。
陸前高田、昨年夏には多くのベルトコンベヤーが土を運んでいた。中心部、12メートル嵩上げしようという計画。土砂の運び入れは、昨年秋には終わったそうだ。そこを住宅地とする。あと2年かかるそうだ。
とても待てない、という人も多いようだ。

名取の閖上地区では、風船を手にした皆さんが集まっている。
風船には、今までの支援に対する感謝の言葉が書かれている。

3時10分、空に向かって風船が放たれる。鎮魂の意をこめて。

名取のスタジオには、陸前高田出身の村上弘明と仙台出身の森公美子も。

3時18分、NHKの画像、また東京での追悼式典に切り替わった。
岩手、宮城、福島3県の遺族代表の挨拶。
5年前の3.11、死者、行方不明者合わせ約18500人。その後の震災関連死を合わせた死者、約21000人となる。

石巻の模様。

大船渡の盛である。
三陸鉄道・三鉄、あちこちで分断された。
大震災の後、三陸の地に行かなければと思いつつも行けなかった。交通手段がなかった。宿がなかった。やっと行ったのは、翌年1月であった。
釜石に行き、釜石から1日2便のバスに乗って盛へ着いた。
三鉄は動いていなかったが、盛の駅は、地域のふれあい広場となっていた。オーバーや赤ちゃんのおむつも必要な人はどうぞ、というコーナーもあった。三鉄が開通した昨年夏盛駅に行った時には、さすがオーバーコートや何かをどうぞ、というコーナーはなくなっていた。赤ちゃんの云々、というコーナーはあった。

盛駅である。
右手前の道は、BRTなるもの。JRの線路を利用したバス道である。

盛駅、電車が走っていない時でも同じ佇まいであった。
4年前も、昨年も。ふれあいまちあいしつなんだ。
動かない三鉄の車両の中で、カラオケ大会なんかをやっていた。

今日は、芋煮か何か、炊き出しを行っていたようだ。


地震や津波、それはそれで大変だ。
が、なんとかなる。時が経てば。
しかし、原発の問題はどうなる。
一昨日、大津地裁は、再稼働したばかりの高浜原発3、4号機の運転差し止めの仮処分を言い渡した。
地震国での原発、諦めざるを得ないだろう。