大震災、満2年(続き)。

新潮社の新書編集部の皆さん、「このような時に何をすればいいんだろう」、と考えたそうだ。大震災の3か月後、『復興の精神』を出している。養老孟司、山内昌之など9人が執筆している。
<「がんばろう」「団結しよう」「希望を持とう」・・・・・のメッセージに異を唱えるつもりはありません>、とし、<これから何を考えればいいのか>、と。
3人が「無常」乃至「無常観」について触れている。
<私は「無常」を、この世のはかなさを示す語と考えず、「この世は常ならず」と自分流に判断してきた。この世では同じ状態は決して続かない。・・・・・現在のこの世の地獄も・・・・・今に立ち上がり、希望の見える・・・・・>、と瀬戸内寂聴は記す。
続けて、
<わがままになって下さい。あなたたちの犠牲の上に、難を逃れた私たちは日夜、夢の中までも、命の恩人のあなたたちの御苦労を分け持たせてほしいと、切に願い祈りつづけているのです>、と。
<・・・・・ありとあらゆる天災に度々遭ってきたこの国には、千年、二千年の長い間に根付いた無常観があるように思いますね。・・・・・人間の命の儚さを受け容れ、・・・・・>、というのは阿川弘之。
その後、”案外早く復興するだろう”、と記す。ま、それはいいのだが、日米同盟、北朝鮮と筆は進み、<日本が必要最小限の核武装をすべきだと僕は思いますね>、と。困ったジイさんである。でも、「無常観」の認識、それはそう。的を射ている。
曹洞宗の僧・南直哉は「無力者の視線」というタイトルで記す。曹洞宗の祖・道元禅師の言う「無常」を。
<ならば、他者に直面し、その無力さにおいて切に意志して、我々は今、この大震災後の生を受け容れるべきである。いままでとは別の存在の仕方を、決断すべきである。仕様がないなあ、と低く呟いて、それでも、立つべきなのである>、記されている。
解かる、な。
昨日、7時のニュースの後、NHKの画面には、笑福亭鶴瓶の番組が流れた。釜石を訪ねている。ゲストは高橋尚子、Qちゃんだ。

このおじいさん、90歳。
こう言われて刺繍をしている。自分でデザインも考えて。
思う。鶴瓶やQちゃんのような国民共通の宝は、何かの時には力を発揮するな、と。

その次の場面。
こう聞いたQちゃん、一瞬表情が凍りついた。
しかし、東北の沿岸部、このようなことあちこちである。
私は、昨年1月末、大船渡、盛のバス停の前で会った男を思い出す。「親が死んだんだ。親父が75で、お袋は72だった」、という男。雪がぱらつき、とても寒かった。あの男、今、どうしているか。気にかかる。
あの日、三陸沿岸、多くの人が死んだ。

これは釜石の遺体安置所の話。一昨年3月11日からの10日間。
脚本・監督:君塚良一。原作は石井光太。
石井光太の作品、私は彼のデビュー作の『物乞う仏陀』しか読んでいないが、アジアの地面に這いつくばり、現実を暴き出す作家、との思いがある。この作品もそうである。
西田敏行扮する釜石市の民生委員・相楽常夫。そのモデルの千葉さんもいる。厳しい10日間である。

陸前高田の一本松は復原されたようであるが、あちこちの大震災に立ち向かうプロジョクトは続いている。
これは、陸前高田の一本松から接ぎ木で育てられたもの。いいぞ。
遠野の歯医者・打越岳さんが立ち上げた「プロジェクトNext」も、被災者への支援をバンバン続けている。皆さん、アクセスしてください。そして、支援を。
原発の問題はある。
アベノミクスとかで、日経平均は上昇を続けているが、その大きな要因は、ニューヨーク・ダウ。
ニューヨーク・ダウ、ここ何日か史上最高値をつけている。それに引きずられ、日経平均も高騰しているんだから。それよりも、経済の再生にはやっぱり原発は欠かせないよな、という雰囲気が醸し出されている気がする。ごく自然な感じで。
でも、地震国である日本、やはり原発は辛抱しなきゃじゃないかな。だんだんそう思えてくる。 
株価に揺れてはいけないよ、な。たしかに、そう。
生死の問題なんだから。