岩手あちこち(17) 気仙沼。

いつの間にか岩手と宮城の県境を越え、バスはほどなく気仙沼に近づいた。
気仙沼は宮城県であるが、「岩手あちこち」、その程度のことにはこだわらない。

気仙沼の市街地に入ると、このような光景が現れる。

船底が折れた船がひっくりかえっている。バスは、港に近づいた。

こちらの船は、土の上で傾いている。

気仙沼の港が見えてきた。

気仙沼港、全域で津波に襲われた。
気仙沼の中心部を抜け、4時半、JR気仙沼駅前にバスは着く。
JRの大船渡線、一関から気仙沼を経由し陸前高田、大船渡、そして盛へと走っていた。しかし、大震災の津波は、気仙沼から先の線路や駅舎を、また、町そのものを流し去った。今、JR大船渡線は、気仙沼止まりとなっている。
気仙沼駅そのものは、港から離れていることもあり、津波の被害からは免れた。町の中心部は、港に近い所のようで、駅の周りはしんとしている。まだ4時半だと言うのに、開いている店もない。今日の晩飯はどうするか、と考えた。実は、この日の宿には食事がついてない。朝も夜も。駅の周りがこうならばどこで食えばいい、と。
まあ、それはともかく宿へ行く。この日の宿は、駅からは港の方とは逆方向。しかも、距離もありそう。タクシーで行くと、大きくビジネスホテルと書いてある。素泊まり専門の宿らしい。帳場にいたオバさんに飯はどこで食えばいいのか、と尋ねた。今は、港の方に屋台村がある、と言う。ラーメン屋もあれば飲み屋も何でもある、と言う。そこへ行けばいい、とのこと。
どうせ、暫らくしたら港の方へ行くつもりである。暫らく後、タクシーを呼んでもらい港の方へ。タクシーの運転手、なかなか話好きな人であった。屋台村も今では何か所もあるが、連絡船の出る港の側の屋台村が最初にできたもので、そこがいいでしょう、と言う。そうしてもらう。
港に近くなると、周りの光景が変わってくる。

骨組みのしっかりとした建物は残っている。コンクリートの建物は。しかし、外側のみを残し、他は流されている。
暗闇の中、”ゴーストタウン”、という言葉を思い出す。

向こうに、屋台村の灯かりが見える。

残っている建物はあるが、1階どころか2階もすべてやられている。
大震災による気仙沼市の死者は1029人、行方不明者は351人、合計1380人(宮城県災害対策本部、昨年12月9日資料)である。陸前高田よりは少ないが、釜石や大船渡よりは多い。
昨年の3月11日、三陸沿岸では、あっちでもこっちでも多くの人が死んだ。忘れちゃいけない。

どういうことか、傷だらけの小さな船が、道路脇に放置されている。

周り中暗い中、ここだけが赤く輝いている。正面には、”復興屋台村 気仙沼横丁”と書いてある。中華屋もあれば、韓国料理屋もイタリアンもある。もちろん、居酒屋は何軒も。

男子厨房「海の家」、という居酒屋へ入った。
カウンターが6〜7席とテーブルが2つの店内。壁に、昨年11月16日付けの読売新聞の地方版の切り抜きが貼ってあった。どうして、男子厨房「海の家」なのか、ということが書かれている。こういうことなんだ。
<津波被害で休業中の気仙沼の民宿経営者3人が、市中心部の仮設商店街に居酒屋を共同でオープンさせた。津波は3人からかけがえのない多くのものを奪った。10メートル以上の波に民宿がのみ込まれた。両親と妹を亡くた。祖父を失った。・・・・・民宿とは勝手が違う居酒屋の経営に悪戦苦闘しつつも、いつかは・・・・・>、というもの。
たしかに、店の中、厨房の中には、3人の中年の男がいる。民宿をやっていた彼ら、親やジイさんや妹を一瞬のうちに亡くしたんだ、と考える。
今の三陸、死は、目前にある。

熱燗をたのむ。
”東北魂”の筆文字の横に、”本日のおすすめ! ドンコのたたき”の札がある。
ドンコのキモを混ぜて叩いた”なめろう”のようなものだった。旨かった。氷下魚(こまい)も食ったが美味かった。
居酒屋ではあるが、食事処でもあるらしい。家族連れで入ってきた人がいた。聞いたら、仮設に入っている、と言う。この男子厨房の一人と同じ仮設に入っている、と話していた。
暫らくした後、タクシーを呼んでもらいたい、と言ったら、タクシーは屋台村を出たすぐ横にいますので、ということだった。4〜5台が並んでいた。
途中、所々車を止めてもらいながら帰る。

ここは、どのような店だったのか。

この通り、両側に建物は残る。しかし、それは外側だけ。まさに、ゴーストタウン。

     こんや異装のげん月のした
     鶏の黒尾を頭巾にかざり
     片刃の太刀をひらめかす
     原体村の舞手たちよ
     ・・・・・・・・・・
     肌膚を腐植と土にけづらせ
     筋骨はつめたい炭酸に粗び
     ・・・・・・・・・・
     消えてあとない天のがはら
     打つも果てるもひとつのいのち
       dah-dah-dah-dah-dah-dah-dah-dah
宮沢賢治 「原體劍舞連」より。

車を止めた運転手、こう言う。
「ここはデパートだったのです。地方デパートと言えば地方デパートではありましたが」、と。たしかに、4階建ての大きな建物、気仙沼の多くの人たちがこの建物に来たのであろう。だが、今は廃墟。嗚呼。

この日、1月22日の「河北新報」の1面トップ記事。
岩手は「岩手日報」だが、宮城は「河北新報」となる。
被災地で臨時のFM局が情報を伝え続けている。岩手、宮城、福島の3県で、計24局が開設され、現在でも18局が放送を続けている、というもの。この日、メジャーリーグのレンジャーズへ入団したダルビッシュの記事もあるが。

中面も、震災がらみのものばかり。
大震災から1年近くになる。しかし、その傷が癒えるまでには、少なくともその10倍の年月を要するであろう。日本人、オールジャパンで助けなきゃ。