東京駅(14) 私のロスコ。

<東京駅の丸の内口に、ロスコ・ロードがある。・・・・・。いずれにしろ、ロスコ通りである>、とキーを打ってから2年半以上となる。
一昨年の5月であった。「東京駅のマーク・ロスコ」、というタイトルであった。創建時の姿に復原工事中の東京駅丸の内駅舎、多くの金属の板で囲われていた。このように。

その工事現場の囲いには、東京駅についてのさまざまな説明や写真が貼られており、その間には、赤褐色のシールが。
2年半以上前、私が思わず「オッ、マーク・ロスコだ」、と声をあげた赤褐色の壁である。
マーク・ロスコの作品を思わせるんだ。
で、その赤褐色の壁面を切り取り、よりマーク・ロスコ風に加工した。
それをブログにアップした。しかし、それがすべて消えてしまった。なんてこと、一体どうした、と不思議だった。が、その理由、何となく分かる。今度は大丈夫であろう。
マーク・ロスコ、1958年から59年にかけ、ニューヨークのシーグラムビル内の高級レストラン「フォー・シーズンズ」の壁面を飾る作品を依頼され描いた。大作ばかり30点。しかし、作品完成後、「フォー・シーズンズ」店内を見たマーク・ロスコ、契約を破棄する。おそらく相当な金額であったであろう契約金も突っ返す。
後年、9点がロンドンのテート・ギャラリーへ寄贈される。今、テート・モダーンのロスコ・ルームにある。佐倉のDIC川村記念美術館は、7点を購入した。やはり、ロスコ・ルームを作った。二度までも。今のロスコ・ルーム、まさに瞑想の部屋。私は行ってはいないが、ワシントンD.C.のフィリップス・コレクションにもロスコ・ルームがあるそうだ。
この三つのロスコ・ルームにある作品、いわゆる「シーグラム壁画」と呼ばれるもの。
古今東西の絵描き、多くのファンを持つ人は幾らもいる。熱狂的なファンを持つ人も。しかし、”○○命”というようなファンを持つ絵描きは、そうはいない。マーク・ロスコ、そのような絵描きの一人である。”ロスコ命”、という人、確かにいる。
そのような人には申し訳ないが、それより何より、マーク・ロスコその人に対し申し訳ない次第ではあるが、「私のロスコ」を載せてみようと思う。2年半前には上手くいかなかったが、今回は何とかなるだろう、と考えて。

先ずはこれ。
消えていなければいいが。

佐倉のDIC川村記念美術館のロスコ・ルームの7点の作品、そのタイトルは、≪壁画≫か≪無題≫である。

で、「私のロスコ」の作品タイトル、≪無題≫とする。
7点あるので、≪無題 No.1≫から≪無題 No.7≫まで。これは3番目であるので、≪無題 No.3≫。

これは、≪無題 No.4≫。

≪無題 No.5≫。
この色調、ロスコらしくなってきたぞ。

≪無題 No.6≫。
ロスコには、こういうものもある。これもロスコだ。

≪無題 No.7≫。
これぞロスコ。「私のロスコ」。
2年半以上前、東京駅の工事現場の金属の囲いに貼られた赤褐色のシールを見た時、「オッ、マーク・ロスコだ」、と反射的に思った。
東京駅丸の内口を出たところ、工事現場の囲いに囲まれた狭い通路に、「ロスコ・ロード(ロスコ通り)」と名を付けた。私以外、どなたも言っていなかった名前であるが。
私にとっては、東京駅とマーク・ロスコ、不可分なものとなった。
「東京駅」についてのことごと、半月近くになってしまった。マーク・ロスコにどこかで触れたかった。今日、「私のロスコ」のキーを打った。
「東京駅」、これで打ち上げとする。