東京駅(13) 北原亞以子の物語。

<東京駅では、≪あさかぜ≫に乗る佐山とお時の姿を見た者があった。たしか、目撃者は十三番線ホームに立って、十五番線の発車ホームを見たということだった。しかし、東京駅では、その間に十三番、十四番のホームがはさまっている。列車の発着の頻繁な東京駅のホームが、間に汽車の邪魔なしに、十三番から十五番にいる列車が、そのように見通せるものだろうか>。
1日に、17時57分から18時01分のわずか4分間だけが見渡せる、という”4分間のアリバイ”。
東京駅についての物語で、誰しもがまず思い浮かべるのはこれであろう。松本清張の『点と線』。
昭和32年2月から翌33年1月まで、雑誌「旅」に連載されたもの。芥川賞は取っていたが、社会派推理小説の大作家としてブレークするきっかけとなった作品だ。55年も前のもの、新幹線などはない。≪あさかぜ≫は、九州への寝台特急。
博多近くの香椎の海岸で発見された情死体、九州ばかりじゃなく北海道へも、日本を縦断するアリバイ崩しの旅。鉄道、連絡船、飛行機、多くの時刻表が絡んだアリバイを崩していく清張の技。
そのとっかかりが東京駅での「4分間の発見」であった。”東京駅小説”の定番となったのも不思議でない。
ところで、気合の入った”東京駅もの”がある。
<七月二十八日の夜十一時の汽車で、友人檀一雄が出征した。昨近の東京驛頭の光景は、外國を見ぬゆゑに比較もできないが、驚嘆すべき感動をつつんでゐることは、機會をもつて兵士を送つたすべての人々の知るところであらう>。
保田與重郎の「東京驛頭に檀一雄を送る」の書き出しである。
『保田與重郎全集』第十二巻(昭和61年、講談社刊)所収の一文。短い文章である。毛筆で記されたような感を受ける。それも、草書や行書ではない。文字の一画一画、一字一字、楷書で記されたであろう、と思われる。
檀一雄、昭和12年、久留米の砲兵第三聯隊へ応召している。久留米へ立つ檀一雄を、師の佐藤春夫以下保田與重郎、緑川貢などの仲間が、東京駅のホームで送った時の様子が描かれる。いや、そうじゃない。それは正確ではない。状況などは書かれていない。心の中、心象が記されている。保田與重郎自身の。
中ほどに、<古来文人墨客の戦場に臨んで初めてその詩藻に人間永遠の生命を賦與したことは、東西にその例おびただしいものがある。まさに檀君の如きその一人とならう>、とある。
最後の数行は、こうである。
<檀一雄は昂然として汽車にのつていつた。「月黒雁飛高、單千夜遁逃、欲将輕騎遂、大雪満弓刀」僕はこんな唐代の詩をおくらう。季節の東京驛頭は昂奮と感動と人いきれで、炎暑線を突破してゐたから>、と。
日本浪漫派の心象だ。
松本清張の『点と線』は、それはそれで面白いし、安田與重郎の「東京驛頭に檀一雄を送る」も味わい深い。でも、東京駅の誕生、という点に関しては、そのものズバリ、北原亞以子の『東京駅物語』(1996年、新潮社刊)が面白い。
北原亞以子は、遅咲きの作家だ。子供の頃からの作家志望が、直木賞を取ったのは50代半ばになってから。苦労に苦労を重ねた末に、といった作家。だからか、無理がない。解りやすい。勉強にもなる。

この小説、9話から成り立っている。
「第一話 旅人」から、「第九話 時のかけら」まで。徳川から明治の世になり、明治5年に新橋から横浜まで鉄道が通り、東京の、いや、日本の中央停車場となる東京駅が造られる頃の時代小説。
<穏やかな海に、汽笛が響いた。新橋を出発した汽車が、品川の停車場へ向って海中築堤の線路にさしかかったのだった>。「第一話 旅人」の始めの方に出てくる状況だ。
<「よろしければ、そろそろ出かけませんこと?」 「どこへ?」 我ながら間の抜けたことを尋ねたと思ったが、娘は、笠の中で目を見張った>。
男は、横浜から出てきたパン職人、女は、「跡見学校へ入りたい」、と静岡から出てきた。紆余曲折はあるが、二人で世帯を持とうか、という時に、「区役所の兵事掛ですが、おめでとうございます」、という男が来る。召集令状を持って。
この小説集に出てくる男も女も、皆ごく普通の人間ばかり。明治から大正にかけての世、出てくる人たち、皆愛おしい人ばかり。
情熱的な歌人になりたい、という思いで田舎から出てきた娘、顔貌が多少イイからと、それを武器に女を手玉にしている男、その逆で、偶然を装って近づき、男から金銭をまきあげる女。もちろん、鉄道技師もいる。それに惚れ込む女もいる。
第一話から第九話まで、登場人物が駅伝のたすきリレーのようにどこかで繋がり、話が進む。
<中央停車場の設計は、工科大学の教授を辞職して事務所を開いていた辰野金吾に依頼された>、ということも出てくる。フランツ・バルツァーのことも。
東京駅の建造時前後のことが、ごく普通の庶民の有り様と共に描かれている。
それであるからこそ、”東京駅物語”。