東京駅(12) 赤レンガ高架橋。

いつの間にか短期連載となってしまった「東京駅」のことごと、第3回目の「お雇い外国人頑張る」の中でフランツ・バルツァーに触れ、赤煉瓦のアーチ橋にも触れた。
赤煉瓦のアーチ橋がなければ東京駅はなかった、は言いすぎにしても、東京駅と赤煉瓦のアーチ橋は不可分である、と。
暫らく前のJRの駅には、このようなポスターが貼られていた。

東京駅丸の内駅舎の復原工事、10月1日に完成する。「世紀を超えて」、と。

その上の部分を拡大する。
東京の中央停車場(東京駅)の建設が決まったのは、明治29年(1896年)であり、着工されたのは、明治41年(1908年)。完成したのは、大正3年(1914年)。
お雇い外国人であるドイツ人・バルツァーの原案を元に、駅舎自体の設計は辰野金吾へ引き継がれた。

今年の秋9月、鹿島出版会から復刻された書『東京駅誕生 お雇い外国人バルツァーの論文発見』の表紙。
そのカバー絵は、バルツァーが企画した高架鉄道、高架橋。
今までにも記したように、東京の中央停車場(東京駅)ができる前、新橋はもちろん、上野、新宿、渋谷、池袋、その他のターミナル駅はできていた。
それらの駅をどのように結ぶか、とりわけ新橋から上野への中心部をどうするか。バルツァー、高架鉄道で結ぶ、と考えた。
パリやロンドン、地方からの列車はそれぞれのターミナル駅に着く。今でもそうである。
ドイツ人のバルツァー、それは不便、東京もベルリンを参考にすべき、と考えた。高架鉄道、高架アーチ橋の発想だ。

バルツァーが描いた煉瓦アーチ橋の図面。
鹿島出版会のバルツァー論文の復刻版から複写した。

何日か前の、その煉瓦アーチ橋。
有楽町から新橋の方へ少し行ったところ。

このようなものだ、煉瓦のアーチ橋。
赤レンガの高架橋である。

赤いレンガを積んだアーチなんだ。
このアーチ、関東大震災にも耐えたんだ。凄いじゃないか。

少し新橋方面へ歩いてみよう。レンガ積みの高架橋に沿って。

高架橋の下は焼き鳥屋。

こちら側へ廻ると、東京駅への高架橋の下、居酒屋ばかり。
このこと、バルツァーも予測しなかったであろう。
でもしかし、これも、また良し、ではなかろうか。