オホーツクふらふら行(22) 鬼志別へ。

浜頓別から稚内までは、この日4路線目の宗谷バス天北宗谷岬線が走る。
乗り換えの時間が長いので、小さなものだがザックをバスステーションのコインロッカーに預けていた。バスに乗る時に引きだすと、100円玉が戻ってきた。美術館や博物館のコインロッカーと同じである。そう言えば紋別の海洋交流館のコインロッカーも、引きだす時に100円玉が戻ってきた。
オホーツク沿いの町や村、厳しいんだからコインロッカー代ぐらい取っとけよ、と思う。通常の300円ぐらい、と。オホーツクの人、律儀なんだ。ほんの少しの人にしか会わなかったが、そう感じる。
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浜頓別の集落を過ぎると、また、雪と樹の中を走る。
浜頓別からの稚内行きのバスにも、乗客は私以外だれもいなかった。
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宗谷バス、当たり前のことなんだろうが、音標雄武線も浜頓別線も天北宗谷岬線も車内はよく似ている。
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オホーツクだ。
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防雪柵がある。
このあたりの道路は、完全に除雪されている。
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流氷が来ている。
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宗谷バスのバス停は可愛い。
この浜鬼志別のバス停など積み木細工のよう。
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浜頓別を出てから1時間弱、鬼志別バスステーションが見えてきた。
バスステーションに着くと運転手は、「ここで20分休みます」、と言い中へ入っていく。私も中へ入っていった。
切符売り場のようなものがあり、中に50代とおぼしきおばさんがいる。
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バスの時刻表がかかっていた。
稚内行きは1日5便、音威子府行きも1日5便。私の乗る稚内行きは、Ⅰ4時10分発の便である。
さらに「さるべつ」という小冊子や交通安全関係の紙片などがある。それらを見ていると、何やら展示室のようなものがあることに気づく。が、入口らしきものがない。どこから入るのだろうと思い、中のおばさんに訊いた。
出てきたおばさんは、「見るなら、もっと早く言ってあげればよかったねー。ごめんなさいねー。こっちです」、と言って示してくれた。
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雑然とした部屋の一画に何か鉄道に関するものが並んでいる。上の方には、「鬼志別驛」と記された木片がかかっている。
鬼志別驛、かっての国鉄天北線の駅である。
天北線は、宗谷本線の音威子府から浜頓別、鬼志別を通り宗谷本線の南稚内まで途中オホーツク沿いを走っていた約150キロの鉄路である。1989年(平成元年)廃線となり、鬼志別駅も廃駅となった。
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鉄道員の帽子や服などが並ぶ。
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鉄道が通っていたころの諸々の品々を並べ、保管している感じである。
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発車時刻表。
音威子府方面は1日6本、内1本は札幌へ直行の急行天北号。稚内方面は1日7本。
63年11月と記されている。昭和であろう。
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普通旅客運賃。
札幌市内6180円、旭川4220円、稚内1090円、東京都内16070円。大阪市内が名古屋市内より安いが、東海道ではなく北陸回りである故である。
平成元年と記されているが、天北線廃線直前のものである。
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このようなものも。
今でも地方の駅では見かける。駅のホームは1番線、2番線とあるが、線路自体は単線の鉄道で。かっての鬼志別の駅もそうだったんだ。味わい深い。
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鬼志別(おにしべつ)の隣の駅は「こいし」であり「あしの」であり、その「あしの」の隣の駅は「さるふつ」であり、その次の駅は「あさじの」だったんだ。
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線路工事の人の服だろう。
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読みづらいが、<数々の思いでを残した鬼志別駅舎>、と記されている。
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何度も記したが、オホーツク沿岸の町や村、鉄道に対する思慕の情、都会地の人たちにはとうてい理解できないものがある。なくなった、失ったが故の恋情といえる。
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展示室とも資料室とも記されてはいない。
ただ、忘れがたい思いに残る品々を並べてあるにすぎない、と言えば言える。
が、これを見てぐっとこない者はいないであろう。
これである・・・
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天北線が廃線となり、鬼志別駅も廃駅となった時、鬼志別駅も属する猿払村の当時の村長がこういうことをした。
鬼志別駅の線路を切り刻み、猿払村の全所帯に配った、と。
廃線となった線路を切り刻み文鎮として村内全所帯へ配った村長と、全所帯に布マスク2枚を配るという我が宰相と、その心根の違いを思う。