新たな系譜学をもとめて(続き×2)。


野村萬斎、ジョルジュ・ドンにタイマンを張り、ラベルの「ボレロ」を舞う。もちろん、モーリス・ベジャールの振付けに則ったと思われる舞。
”跳躍、痕跡、身体に特化した系譜学”を求めているのだから。

チェルフィッチュ≪4つの瑣末な駅のあるある≫。

こういう4チャンネルの映像インスタレーション。

4人の若い男女の動き。

音声も絡む。

チェルフィッチュの作品の右手には、何やら立体が見える。

こういうものが。
作・演出:岡田利規、美術:金氏徹平による≪家電のように解り合えない≫という芝居の舞台美術らしい。

その金氏撤平の舞台美術作品が15点ほど展示されている。
掃除ロボットだとか、TVだとか、食器洗浄機だとか、CDプレイヤーだとかといったものが。

こちらにも。
炊飯器だとか、冷蔵庫だとか、電子レンジだとか、洗濯機だとかといったものが。

つまり、こういうものなんだ。

扇風機。
赤く丸い浮き輪みたいじゃないか、と思って使用素材を見ると”浮き輪”となっている。では、何故に”扇風機”。
解かるワケないよ。一杯食ったのか。
いや、こういうことに気づく。
≪家電のように解り合えない≫、というタイトルはよく理解できるな、ということに。

チェルフィッチュと金氏撤平のコラボ、マッチしたのか、ガツンとした手応えがあったのか、よくは解からない。
”跳躍、痕跡、身体の系譜学”を求める中で。
野村萬斎は追っていた。
シェイクスピア劇を演じ、白と朱の衣で「ボレロ」を舞い、ニューヨークのグッゲンハイム美術館では「三番叟」を演じ、野村萬斎、MOTの「新たな系譜学をもとめて」の総合アドバイザーとしての役割りは十二分に果たしていた。
かてて加えて、大野一雄、土方巽ばかりでなく、観世寿夫、武智鉄ニの舞台まで観ることができた。
いずれも身体表現に命を賭けた男。その場に居合わせたことだけでも幸せであった。