東京駅(1) 復原成る。

今年の建造物、前期はスカイツリーで後期は東京駅の復原、となろうか。
1914年(大正3年)竣工の東京駅、1945年(昭和20年)の空襲で焼かれ、いわば元の姿とは異なる姿で60有余年を過ごした。が、5年余の歳月をかけ、完全に辰野金吾設計の元の姿に復原された。
半月ほど前の東京駅。

丸の内北口から外へ出る。

左手正面の方を見る。
丸の内駅舎だ。レンガ造りだ。

丸の内駅舎中央口。日の丸が翻る。

太平洋戦争末期、米軍の空襲により東京駅丸の内駅舎は3階部分を焼失した。何より、南北口のドームが焼け落ちた。そのドームも復原された。
南口から中央口、さらに、北口へとカメラを振る。
これは、丸の内駅舎南口。

丸の内駅舎中央口。

丸の内駅舎北口。

北口のドーム、67年ぶりに、98年前の姿を現した。

ドーム内。

ドーム内のレリーフも完璧に復原された。

日本銀行本店、奈良ホテル、それに、北浜の風雲児・岩本栄之助がポンと投げ出した金で造られた大阪市中央公会堂、・・・・・、辰野金吾設計の建造物、記憶に残るものが多い。
中で代表作は、やはり赤レンガの東京駅。何とも言えぬ趣がある。
<そんな東京駅は、オランダのアムステルダム駅がモデルといわれる。たしかにアムステルダム駅と東京駅は同じような造りだ。横長の煉瓦造りで御影石が装飾に使われているところや、終着駅ではなく通過駅の形式を持っているところなど、外観は本当によく似ている>(世界博物倶楽部著『古今東西「奇想建築」ミステリー』 PHP文庫 2008年刊)。
異を唱える者もいる。<辰野は・・・・・イギリスの建築教師ジョサイア・コンドルから教えを受け、当時イギリスで大流行していたヴィクトリア朝建築について学んだ>、と。
<ただ、アムステルダム駅に似ているというのも、まったくの偶然ではない。イギリスのヴィクトリア朝建築は、オランダの建築スタイルを取り入れながら発展したものだからだ>、とその後の同書の記述にある。
しかし、私は、東京駅とアムステルダム駅、そう似ているとは思わない。
5年前になるが、ヨーロッパをひと月ちょっと、電車や汽車に乗って歩いていた。2007年の暮れ、ケルンからドイツが誇る高速鉄道・ICEでアムステルダム駅に着いた。

これは、その翌日のアムステルダム駅。
東京駅と同じレンガ造りの駅舎である。しかし、東京駅に比べ、アムステルダム駅の方が、よりエッジが立っている。共に趣き深い建物ではあるが。
なお、この翌日昼過ぎ、私は、アムステルダムからパリへの超特急・タリスでパリ北駅へ発った。