諸国漫遊だ。 石田宏 スケッチ展(続き)。

現代の黄門・石田宏のさすらいは、日本国内に限らない。
ボヘミアをもさすらっている。チェコと言わず、ボヘミアとするところが、さすらい人・ボヘミアンの石田らしい。

ボヘミア。
2枚のパネルに33点の彩色画。パネルのアクリルに電灯の映りこみがあるが、それは仕方なし。
左のパネルの上の部分は、プラハのあちこち。旧市街やお城(プラハ城)の周辺。町の中をヴァルタヴァ川(あのモルダウ)が流れ、カレル橋が架かる。細い道や坂道。美しい町である。だから、皆さんプラハへ行く。20年近く前、私も行った。
しかし、私も含め大抵の人が行くのは、プラハのみ。しかし、現代の黄門・石田宏、さすが、そこんところが少し違う。プラハ以外のボヘミアの地をあちこち訪れる。さすらっているんだ。

左はターボル、右はクトナーホラ。
石田の手による、20枚余のコピーを綴じたページ物で勉強をしよう。こう記されている。
まず、ターボル。
<ヴァルタヴァ川支流沿いの高台にフス派拠点として築かれたルネッサンス式要塞都市である。軍事目的で作られた街なので、道は迷路のよう、入り組み、行き止まる。・・・・・>、と石田は記す。
クトナーホラについては、こう。
<嘗て西欧最大の銀山を擁し、ボヘミアではプラハに次ぐ都市であった。・・・・・独墺戦争を一気に決着させ、独参謀総長モルトケの名を不動にした、ケーニッヒグレーツ(クトナーホフのドイツ名)の戦いがあったのはこの近郊である>、と。
上記の石田の記述に出てくる”フス派”や”モルトケ”については、もしご存知なければ、それぞれお調べください。いや、石田宏、教養のある男なんだ。物知り。だから、細かい説明はしない。解っているものとしてしまう。
その点、対極の私などは、少し困ってしまう、ということがないではない。しかし、そうではあっても、勉強になること、遥かに多い。

左は切れているが、チェスケ ブディヨビツ、右はテルチ。
石田のページ物で、またお勉強。
チェスケ ブディヨビツについて。
<神聖ローマ皇帝の座を狙い、オーストリア大公位にもあったボヘミアの野心王 オタカル二世により、対南戦略拠点として1265年に建設され、・・・・・>、とあるが、そのあとの方に面白いことが書いてある。
<ピルツナ・ウルケルと並ぶ著名なビール、ブドヴァイゼル・ヴドバルの製造所がある。ドイツ系アメリカ人がこのビールの味にほれ込んで、バドワイザーの名を付して製造を始め、いまや大企業となったが、両者のブランド名をめぐる訴訟争いは未だ決着を見ていないという。・・・・・>、とある。
面白いじゃないか。今や、世界中どこにもあるバドワイザーの始まり、このようなことだったということ。
テルチは、<ボヘミアとモラビアとオーストリアの境目の町である>、そうである。
ヨーロッパは狭い。
日本では、ここいらのことを”東欧”と呼んでいる。しかし、その土地の人は、自分たちの住むところを”中欧”と言っている。チェコの人も、ハンガリーの人も、オーストリアの人も。確かに、そう。ヨーロッパの中央部なんだ、ここいら。プラハも、ブダペストも、ウィーンも、ほんのすぐそば、指呼の間である。
だが、問題は、それぞれの都ばかりじゃなく、その周辺までさまよっているか、ということ。
黄門・石田宏はさまよってるんだ。周辺部まで。凄いよ。

上海。
正確には何と言うのか知らないが、幾つもの電灯が付いているもの、やはりシャンデリアと言うのかな。この店には、それがいっぱいある。それがパネルのアクリル板に映りこむが、ここには11点の彩色画。
石田宏のスケッチを観ていると、過ぎ去ったことごとが思い出される。石田の描く絵自体、そのような心に染み入る何かを内包しているのだが。それにしても、だ。
上海には、ずいぶん行った。ホンの数日、上海のみに行ったことも何度かある。西安やウルムチといった内陸部からの帰り、上海を経由して、ということもある。その折には、1、2日、上海に留まった。面白い、上海は。
「石田宏 スケッチ展」、私にとっては、センチメンタル・ジャーニーである。

虹口(ホンキュ)の山陰路も多倫路も、旧日本租界。
アヘン戦争に破れた中国、欧米列強、さらに日本に蹂躙された。
イギリス、アメリカ、フランス、そして日本、上海に租界を築いた。
ディック・ミネが歌う「夜霧のブルース」の1番。
     青い夜霧に 灯影が紅い
     どうせおいらは ひとり者
     夢の四馬路(スマロ)か 虹口(ホンキュ)の街か
     あヽ波の音にも 血が騒ぐ
虹口の日本租界には、内山完造の内山書店があった。その近くには、魯迅の旧居があった。今、記念館となっている。訪ねたことがある。
ちょくちょく行っていた中国へ、ここ暫らく行かなくなった。直接の理由は、チベット問題。さらにここにきて、尖閣諸島の問題もある。ますます行きづらい。面白いところなんだが。

蘇州である。
電灯の映りこみはあるが、10点の彩色画。
蘇州と言えば、西条八十作詞の蘇州夜曲。
     君がみ胸に 抱かれてゆくは
     夢の舟唄 鳥の歌
     ・・・・・ ・・・・・
     ・・・・・ ・・・・・
蘇州へは、2度行った。1曲幾ら(忘れたが、100円とか200円とかという単位だったと思う)で歌う人に、この曲を歌ってもらったことがある。目鼻立ちの整ったとても美しい女性であった。

寒山寺である。
西条八十作詞、「蘇州夜曲」の3番に出てくる。
     髪に飾ろか 口づけしよか
     君が手折りし 桃の花
     涙ぐむよな おぼろ月に
     鐘が鳴ります 寒山寺
中国、とても面白いところ。しかし、何のかのと、さまざまな問題が出てきて、おいそれとは行きにくいところとなっている。私は、困っている。

この日、石田の手配で、このような用意が為されていた。おフランスの店なんだ、ここは。
私たちの飲み会、大抵は居酒屋である。アジの開きがどうこうという居酒屋が通常。
この日は違った。フランス料理だ。ワインが、どうのこうの店である。そのワイン、ピレネーを越えたところのものを飲んだ。

ビストロ・カッシーヌ、そのカッシーヌってどういうことか、と聞いた。
マダム、こう言った、”カッシーヌとは、小さい家ということです”と。
小さい家なんてとんでもない。奥にも部屋があり、5〜60席、いや、6〜70席はあるのじゃないかと思われる。