ギャラリー新宿座 石田宏・街々邑々展。

今年も残り半月を切った。この雑ブログに何を記そうか、と考えた。
夏前から溜まっている映画もある。が、それは後回し、展覧会の模様を記そう、と思う。
昨日の夕刻6時すぎ、新宿3丁目の表通りから一本裏に入った道を歩いていた。石田宏の「街々邑々」展へ行くんだ。昨日が初日。
小さな道は、薄暗い。表通りから一本横に入っただけなのに。「個室 ベッド」という看板が出ている小さなホテルが幾つも続く。ここらあたりじゃないかな、と思われるところで左へ折れる。

薄暗い中に、「新宿座」の文字がボーと浮かびあがる。

赤と青に彩られた金属製の螺旋階段を上る。
何やら趣があるなー。

螺旋階段を上がったここが入口らしい。

石田宏を含め、5〜6人のオヤジが酒盛りをしている。

壁面には、石田宏のスケッチが。

「街々邑々」だ。

ここを見てみようか。

少し近づくと、品川や川崎あたりの街々の模様。

中央上のキャプションは、「品川駅港南口 みなとグランルール巡廻啓発員」であり、左下には「港南何々喫煙檻」のキャプション。
未だにタバコを吸う連中、大変なんだ。まさに喫煙所、石田記載の如く「檻」同然だな。

この壁面には、顔ばっかり。

「車内模様」。
石田、酔って帰る電車の中でボールペンを走らせるそうだ。
酔った目で向かいの人の模様を、サラサラサラと。

こういう人たちを、サラサラっと。

廊下を挟んで向こう側にも部屋がある。

壁面いっぱいズラーと。

反対側の壁面にもビッシリ。
4時半から会場にいるという久木、いったいどのくらいのスケッチが展示されているのか、石田に訊いたそうだ。石田の答えは、「おそらく3000点ぐらいじゃないか」、というもの。感覚として、より多いとも思われるが、まあ、そのぐらいだとも感じる。
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この一角には建物が。

そのひとつに近づこう。

富田林、柏原、羽曳野、河内飛鳥、久宝寺、いずれも大阪近郷の街々である。

富田林に近づく。
建築家・石田宏の本領発揮。

向こうの部屋へ戻ろう。

石田と山宣が飲んでいる。

私がギャラリー新宿座に行った時にいたオジさんたちは帰っている。
「日高見」は、石巻の酒で、石田宏、その一升瓶を幾つも持ちこんでいる。向こうの部屋にもあった。
なお、壁面の下は本棚となっている。美術書ばかりじゃなく、ややエッジの利いた書が見てとれる。

先日死んだ野坂昭如の書が見える。『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』。
『エロスの招待状』、『ダダイズム』、『ハマのメリーさん』も。70を過ぎても横浜の街角に立った伝説のメリーさんだ。

『三島由紀夫における男色と天皇制』があり、その三島が激賞した沼正三の『家畜人ヤプー』がある。
なお、中ほどに見える「異装」、「ネオ・ゴシック・ヴィジョン」、「拘禁遊戯」、「ひそやかな愛玩具」、・・・・・、などの特集を組んでいる「TH」は、アトリエサードが発行するトーキングヘッズの頭文字。
ゴシック、エロス、頽廃、耽美、前衛、・・・・・、をそのテリトリーとする。常人には、やや付合いづらい。

石田宏、日本全国あちこちへ行っている。北から南まで。
沖縄へも。

守礼の門がありシーサーがあり。沖縄だ。
琉球処分、沖縄の日本併合からこのかた、沖縄は常に日本の調整弁。戦中、戦後、沖縄住民がバンバン殺されても。それが今に続く。

7時すぎ、石田の会社の部下が来る。石田の遠縁にあたる姉妹も来る。
と、話好き、若い女性好き、いつもニコニコの山宣、さっそくそちらの方へ移動する。

と、やはり仲間の久木、「オイ、ちょっと、そんなこといいのかよ」、と言う。
しかし、この皆さんの顔を見てくれ。皆さん3人とも笑っている。山宣も石田の遠縁の若い姉妹も。久木が何と言おうと、皆さんハッピーなんだ。
いつもニコニコの山宣とおおらかな姉妹のコラボと言っていい。

石田宏の「街々邑々展」、24日まで催されている。
ギャラリーで、白髪頭で酔っぱらいの男を見かけたら、それが石田宏である。
声をおかけいただければいい。石田宏、四六時中酔っぱらっているが、その頭脳は鋭い。その学識、辺りを払う。喜んで説明をしてくれるよ。
そうだ。ギャラリー新宿座へ行く場合には、夜暗くなってから行くことをお勧めする。
薄暗い中に、ボーと新宿座の文字が現れるのは、それはそれいかにもの感で一興。ギャラリー新宿座、単なる展示場でなく劇場空間的意味合いを持っている。「ギャラリー新宿」でなく「ギャラリー新宿座」であることも、自ずと理解できてくる。



今日は、幾つものニュースがあった。
FRBが、リーマン・ショック以来の実質ゼロ金利を解除した。
日本を含め各国のマーケットは概ね好感を持って対処している。当然だ。


産経新聞の前ソウル支局長の裁判、無罪となった。
裁判冒頭、韓国外務省の「日韓関係云々で、配慮を」という文言が読みあげられたそうだ。行政の司法に対する介入だよ、これは。日本政府の思惑通りとなったが、日本、韓国に借りを作ったことにはなろうな。


そのようなことより、今日のこれというニュースは澤穂希の引退発表である。
澤穂希、15歳で日本代表となり、17歳でオリンピックへ出、何々何々でどうして、とその軌跡は凄いことばかり、と言っていい。
何よりも澤穂希が輝いたのは、2011年の大震災の後である。ドイツでのW杯で優勝した。決勝戦での対アメリカ戦、残り時間わずかの場面で、澤穂希のアウトサイドキックのゴールが生まれた。これで同点、PK戦にも勝ち、世界のトップに立った。日本中が沸き立った。
2011年の東日本大震災で打樋がれていた日本国民を救った最大の功労者は、澤穂希であった。日本人、おしなべて澤穂希に感謝すべきである。
澤穂希、今年結婚もした。元Jリーガーという相手の男も、感じのよさそうな男である。幸せな後半生を送ってもらいたいな。