浅草 四万六千日(続き×2)。

20世紀のアートシーン、パブロ・ピカソを筆頭に何人かの巨人がいた。ダブリン生まれのフランシス・ベーコンもそのひとり。

石田宏の3枚続きのスケッチを見ていると、ふとフランシス・ベーコンの三幅対を思い出した。
「どこがぁー」って声もあろう、と思わないではない。
でもしかし、石田宏の描線が描くフォルム、フランシス・ベーコンの描く面のフォルムとよく似ている。そう思って見る、と。
何より古い仲間に20世紀の巨人と似ている男がいるってことは、愉快である。
以下、石田宏が描く何枚かの紙片と、一昨日のその場の模様を。

≪浅草伝法院通り≫。

一昨日、四万六千日の伝法院通り、人力車も行きかっていた。

≪仲見世≫。

四万六千日の仲見世、人出は多い。
一昨日の浅草、仲見世に限らず、多くの人で混んでいた。
団体ばかりじゃなく中国人が多くいた。”爆買い爆買い”と言われているが、そればかりじゃなく中国人の皆さん元気がいい。
このところの上海市場の大暴落なんてことには、意にも留めていない模様。アグレッシヴ。

仲見世の雑踏の中、このような一団がいた。座布団帽にガウンの若い男女が5、6人。自撮り棒で写真を撮っている。
どこから来たのか、声をかけた。
シンガポールから来た、とのこと。大学の卒業旅行だそうだ。メインランドの中国人ばかりじゃなく、香港、台湾、そしてシンガポーリアンまで、中国系の人々、みな元気印。

≪東武 浅草駅≫。

一昨日の東武浅草駅。上階は、松屋浅草店。

左は、≪吾妻橋 神谷バー≫、右は、≪吾妻橋 アサヒビール≫。

神谷バーの前では、リュックを背負ったジイさんたちが、ウィンドウを覗きこんでいた。

隅田川の向こう、アサヒビール本社の屋上に乗っかった「黄金のウンチ」、存在感がある。
今や、浅草を語る上で欠くことができない重要なるアイテムだ。

石田得意の居酒屋スケッチ。
私が、石田宏を20世紀の巨人のひとり・フランシス・ベーコンに擬するのも、この得も言えぬ曲線が描く、このフォルム。

≪駒形どじょう≫。久しく行ってない。

≪洋食 ヨシカミ≫(左上下)と、≪リスボン≫(右)。
共に、よく知られた六区の洋食屋。
松竹梅のランクづけで言えば、ヨシカミは竹でリスボンは梅。ヨシカミは、常にお客であふれているが、リスボンは、値が安いにもかかわらずいつも閑散としている。
そうは言っても両店とも、20世紀の巨人のひとり・フランシス・ベーコンに擬せられる石田宏が並び描いている如く、浅草六区の著名な店。嵐山光三郎はじめさまざまな食通が触れている。

大黒家別館4階の特設ギャラリーで、隅田川万華鏡会主催の「2015東京浅草スケッチ展」を観た後、どこで昼を食おうかな、と思った。
駒形どじょうは遠すぎる。六区のヨシカミやリスボンとも考えた。すぐ近くだから。しかし、結局、大黒家のギャラリーへ来たんだから、大黒家で食っていくことにしよう、とした。
実は、大黒家の天丼、私には重い。だから、大黒家の天丼、ずーっと久しく食ってない。しかし、食おうか食うまいか、少し悩んだ末、結局、それにした。
店に入ったのは、2時半すぎであったが、大黒家別館の1階は、座敷もイス席もほぼ満席であった。
隣りの座卓では、幼稚園児とおぼしき女の子を連れた若いお母さんが天丼を食べていた。途中で、女の子がトイレに行きたくなり、お母さんは連れて行った。上の写真は、その卓上の模様。
私は、頼んだ天丼、1/3ほどを残した。が、トイレから戻ってきたお母さん、自らの丼に残っていたものも、小さな子供のために取り分けていた小さな茶碗に残っていたものも、すべてきれいに食べていた。
お母さんって、さすが凄い。
改めてそう思った。