品川駅高輪口前居酒屋での出版記念会。

昨日、久しぶりで品川へ降りた。
品川駅、こんなに大きな駅だったかな、というくらいにデカい。新幹線の始発駅でもあるんだから、そうかもしれないが。高輪口で待ち合わせ、すぐ近くのビル地下の居酒屋へ。
毎日スケッチ、居酒屋スケッチの名手・石田宏の出版記念会である。石田の他、昔の仲間12人が集まる。

居酒屋「和」の入口の横。
居酒屋の提灯や、「心を込めて営業中」や、「本日のお任せコース」はいい。問題はその後ろのガラスの中。手描きのスケッチが貼りつけられている。その上の方には、その作者について説明した紙片がある。

こういうものだ。
「店のコンセプトとも合致するから、同氏のご厚意で掲示させていただいております」、というような店主の言葉が書かれている。

店の中にもこのようなスケッチが。
以前、石田宏はこういうことを言っていた。「私の作品を掛けてくれている店がありまして・・・・・」、というようなことを。てっきり石田の作品を1点か2点掛けているのだろう、と思っていた。
とんでもない。店の中の壁面、ビッシリ石田宏のスケッチで埋められている。

このような。

まず石田宏から各自一冊、今回上梓した彼の書を贈られる。
掌にスポリと入るカッコいい書。一見、和書を思わせる。
版元は「どうぶつ社」。編集は仲間の名手・久木亮一。

石田宏著『ほろ酔い画帖 街々邑々(まちまちむらむら)』。

まずは石田宏の挨拶から。
右手の壁には、石田宏のスケッチ画がビッシリ。石田宏、「いや、壁紙代わりです」、なんて言っていた。

『街々邑々』、面白い。例えばこのページ。
右のページは、千住本町の立ち飲み屋・徳多和良。左は、<今は場末感の漂う街である>、という千住寿町。

ノドの部分、細くスミで刷られている。
そのスミで刷られたノドに寄り添うように、ノンブルがふられている。あたかも、主役のスケッチの邪魔にならないように、と言うかのように。
その造本、洒落ている。イキじゃないか。

途中、店の前での石田宏。
柔らかな顔つきで、キオツケの姿勢をしている。店の名は、「和(なごみ)」。石田自身も、和んでいる。

この店に入って3時間近く経った。左に写っているこの日の世話人の二人、立ち上がって何やら話している。もうそろそろ終りだなー。

昨日は帰ってくるのが遅く、ブログを記す気力はなかった。今日、改めて石田宏の書を眺めている。
この見開きは、津軽半島の十三(じゅうさん、とさ)。
左のページの右側の絵には、こういう説明がある。<家屋は、脇元同様日本海の風雪を防風林「カッチョ」で耐え忍んでいる。「津軽じょんがら節」という映画が・・・・・>、と続く。ずいぶん前の映画だな、斎藤耕一の『津軽じょんがら節』。津軽半島の潮風に晒された防風林の板壁の風情、何と言えばといったもの、ンーンとただ唸るしかないものであった。石田の絵もそういうものか。

雄勝(おがつ)。
<玄昌石の産地で、硯と屋根材を造っている。・・・・・>、と。そういう石なんだ。

プラハの旧市街。石田宏、こう記している。
<この路地こそ中世である。上方を見あげると建物相互を支えあうバットレス(飛梁)が目に入る。・・・・・>、と。
雄勝の玄昌石にしろ、プラハのバットレスにしろ、建築の専門家ならではのもの。

石田宏の『街々邑々』、昨年秋に市ヶ谷のビストロで催した個展に展示した作品を、纏めたものであるようだ。しかし、今日、改めて見なおしても、「そうかそうか、なるほどなるほど」、面白い。
この<立ち食いソバの王道を行く店といっていいだろう>,という「浅草地下街立ち食いそば 文殊」の模様も、練達の筆。

確か、昨秋の石田宏個展の折り、記した憶えがあるが、これも面白い。
千住大門の朝日軒である。石田宏、こう記している。
<「朝日軒」は普通の実直な食堂であるが、昼からの居酒屋でもある。・・・・・、昼の一時に居合わせた客の十人は、全員酒を飲んでいた>、と。ハッハ、面白い。
二次会へ、と言うヤツがいて、近場の居酒屋へ入った。品川駅高輪口の近辺、居酒屋があちこちいっぱいあるようだ。
そこで石田宏をよく知るヤツが、こう言っていた。「石田宏は、日本の現存の建築家100人の1人なんだから」、と。石田本人からは、そんなことは聞いたこともないが、そうなのかもな。200人ばかりのスタッフを抱える建築設計事務所のボスであったんだから、そうかもしれない。飲んだくれの石田宏、どうでもいいが。

『街々邑々』、「あとがき」の末尾。
この絵の男は、どうも石田宏その人、自画像のように思われる。おそらく、そうであろう。
石田が書く文面は読めるかな。読めればいいが。
昨日、品川駅高輪口前のビル地下の居酒屋「和」での石田の挨拶も、このようなものであった。