東博初もうで 等伯と一斎。

お正月の東博、干支に因んだものやおめでたいものがさまざま並ぶが、これがないことには納まりがつかないというものがある。
長谷川等伯の≪松林図屏風≫である。これがないことには。

東博本館2階の国宝室。
あった。
時間帯にもよるのであるが、あまり混みあっていないこのくらいの人がいる、という状況の中での≪松林図屏風≫がいい。

等伯による紙本墨画。
墨の濃淡によって周りの気、空気というか風というかを描ききっている。
以前にも記した覚えがあるが、等伯の≪松林図屏風≫、我が国随一の至宝の座を雪舟、光琳、北斎と争うが、ただ一点となれば等伯のこれであろうか。
私は、もうあまり近づかない。このあたりで十分に堪能。

佐藤一斎の書である。
佐藤一斎、正月の東博には3年に一度程度出てくる。
数え年74歳の時の佐藤一斎の書≪霊龜≫。「霊龜」とは神霊明鑑の亀という意味で、明徳に喩えられるそうだ。
しかし、このようなことの説明はない。
あるのは・・・

このようなものだけ。
佐藤一斎筆≪霊亀二大字≫、ということだけである。以前はもっときめ細かく説明してくれていたよ。ちょっとそっけなさすぎるのじゃないか。
第一、皆が皆、佐藤一斎のことをある程度知っているワケではなかろうに。佐藤一斎のこともある程度は教えろよ、と思う。
東博には多くの学芸員というか研究者がいるが、その時々の担当者によって扱いは異なるものとみえる。今年の担当は、佐藤一斎のことを表面のことのみ流しているということであろう。
余計なことだが、補足をすると、佐藤一斎、こういう人なんだ。
江戸時代の儒学者・佐藤一斎、その門弟6000人とも言われる。佐久間象山、横井小楠、渡辺崋山などは弟子。佐久間象山門下の勝海舟や吉田松陰は孫弟子にあたる。さらに松陰の松下村塾から巣立った高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文などはひ孫弟子にあたる。こういう男なんだ、佐藤一斎という男は。いや、凄すぎる学者である。

佐藤一斎、7歳の時の文字。隷書。数えで7歳であるから、今の歳でいえば、6歳である。
なんとう。

佐藤一斎と言えば、何と言っても「三学戒」である。
   少にして学べば、則ち為すこと有り。
   壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
   老いて学べば、即ち死して朽ちず。
何年か前、勉強ばかりで佐藤一斎、疲れないか、と記した憶えがある。

正月5日、夕刻から夜にかけての東博本館大階段。