東博 今年の慶賀展示はこれっ(続き)。

東博の新年慶賀の展示、鷹もあれば茄子もある。しかし、めでたさと言えば何と言っても富士山である。
富士山ほど日本人から好かれる山はない。富士山に行ったことはない。ただ見たことがあるだけである。だから、曇っていたり雨であったりして、新幹線の中から富士山が見えない時ほど悔しいことも少ない。

「富嶽図」。伝賢江祥啓筆、子純得公賛。
紙本墨画淡彩。室町時代、延徳2年(1490年)。
賢江祥啓は、室町時代中期から後期の画僧。子純得公は、建長寺住持を務めた禅僧。
賛文は、<古河公方・足利成氏の子・足利政氏のために、政氏が富士山のような人物になることを願っている>、というような意であるらしい。

伝賢江祥啓の富士山を抜きだす。
「霊峰」って言葉が思わずでる。

ひとつ突き抜けている。

宗紫石筆のこういうもの。

三幅対。

なるほど、清水港からの富士山か。

真ん中の富士山だけを切り取る。
古来、富士山、須弥山信仰とも結びついてきた。確かに、犯しがたいよね。この絵を観ても。

この正月の東博、「新年は北斎づくしで浮世絵はじめ」という試みも行っていた。肉筆画なども含め32件の北斎作品を展示した。
「富嶽三十六景」に於いては、三役揃い踏み。
「富嶽三十六景」、発表発売は天保2年(1831年)から4年(1833年)にかけて。北斎、70を幾つも超えたころ。そうではあるが、”画狂老人”北斎、まだまだこれから、という時期ではある。
これは、ご存じ「凱風快晴」。
赤富士だ。

「山下白雨」。
北斎の「富嶽三十六景」、その殆どには人物が描かれている。が、この「山下白雨」は「凱風快晴」とともに人物を描かず富士山のみを描いている。

「神奈川沖浪裏」。
日本人ばかりじゃない。ゴッホはじめ印象派の連中、皆しびれた。

「富嶽三十六景」の翌年、天保5年(1834年)と6年(1835年)には、「富岳百景」が上梓される。
3巻、半紙本絵本である。
上は、「霧中の不二」。

百景のひとつ、「登龍の不二」。
霊峰富士には、昇り龍がよく似合う。
北斎こそ、世界に誇るわが国第一のアーティストと考えている私、北斎の作品中、最も好きな作品は、霊峰富士を越える龍を描いた肉筆画。
小布施の北斎館に収められている「富士越の龍」。贅肉など全くない、引き締まった身体の龍が、鋭角的で白い富士山を越えている。小さな作品であるが、これは凄い。
いつの間にか、富士山から北斎へ力点が移ってしまった。
今日は、ここらでお開き。