美女と破墨山水。

10日ばかりしか展示されなかったが、年明けの東博、これも期間限定で特別公開された。
雪舟等楊筆、国宝≪破墨山水図≫。
室町時代、明応4年(1495年)、雪舟76歳の時の作。
その場に行く。

≪破墨山水図≫の軸の前から動かない人がいる。
右側の人は、その内動いた。しかし、左の女性は動かない。オペラグラスを使い、ジィーと「破墨山水」の軸を眺めている。前へ行けない私は、後ろから「破墨山水」の軸を眺めている。
その内、何かが変わった。
雪舟の「破墨山水」も、”それはそれで”であるが、ジッと動かない前の女性も、それはそれで魅力的であるな、と。
黒っぽい和服姿である。衣紋を大きく抜いている。髪はショートカット。染めてなどいない。黒髪。美人に違いない。

前の女性、オペラグラスをジッと覗いている。
画聖・雪舟、応永27年(1420年)、岡山、備中赤浜に生まれる。京へ上るが、都の画壇とは合わなかったらしい。30代半ば、山口へ移る。48歳の時、遣明使に随行して中国へ渡る。帰国は2年後。

黒髪そのままのショートカットの女性、その後も≪破墨山水図≫を凝視し続けていた。
≪破墨山水図≫、水墨画の上には、雪舟自身による序が記されている。弟子の宗淵に求められてこの絵を描いたこと。中国では、李在と長有聲に画法を学んだことなどを書いているんだ。この女人は、それを読んでいたのかもしれない。

暫らくして後、この女人も動いた。
その面立ち、チラと見えた。30半ば、エッジの効いた目鼻立ちの美女であった。
それはそれとし、≪破墨山水図≫の軸、山水画があり、雪舟自身の序がある。その上に、月翁周鏡等6人の僧の賛が記されている。
このこと、<老いた雪舟の京都への逆襲だった>、という男がいる。学習院大学教授・島尾新、その著『もっと知りたい雪舟 生涯と作品』(2012年、東京美術刊)にそう書く。
先進国・明で学んだ雪舟、それを誇示しているらしい。若い頃には、京の都でさんざんな目に会わされたので、と。

<「破墨山水図」の「破墨」は水墨画の技の名前。ふつうは淡い墨で描き、それが乾かないうちに濃い墨を重ねる。濃い墨が淡い墨へと滲んで、その調子を「破る」というわけだ>、島尾新、こう記す。
「破墨」と「溌墨」の問題もあるが、美女とも関係がないし、眠くもなった。
今日は、これで終わる。