久しぶりに相撲のことを。

前回の綱打ちは、2007年5月のことだから、5年4か月ぶりの綱打ちとなる。その白鵬の綱打ち以来5年余、今日、日馬富士の綱打ちが行われた。朝青龍の突然の引退からでも2年半、白鵬、一人横綱を張ってきた。それも、昨日で終わった。
東西に横綱が揃い、白日時代となった。

「ヒィ フゥ ミィ」、春日山・伊勢ケ浜一門の力士たちにより、日馬富士の綱は打たれた。

幕下力士の肩に手をかけ、日馬富士、打ち上がった綱を巻く。
第70代横綱・日馬富士、土俵入りでの露払いと太刀持ちは、同部屋の安美錦と宝富士が務めることになろう。安美錦は今、一門の横綱・白鵬の太刀持ちを務めている。しかし、同じ部屋に横綱が誕生した以上、そちらに変わるのは当然。白鵬の太刀持ちは、やはり一門の魁聖が、新たに務めることになるのではなかろうか。

それはともかく、久しく相撲のことには触れなかった。
先日の9月場所でも触れなかったし、7月の名古屋場所でも触れなかった。その前の5月場所の旭天鵬の優勝の時には、触れた覚えがある。37歳での優勝のこと、ニューヨークにいる同じ歳の松井秀喜のことと絡めて。
そうではあっても、実は、相撲は観ている。家にいる時には当然に。だから、毎場所半分以上はテレビ観戦をしている。今場所も。
千秋楽結びの一番、白鵬対日馬富士の一戦、懸賞の幟が3巡したような気がするのだが。そうではなかったのかしら。

両者の仕切りだ。

私には思い出せないのだが、制限時間前の日馬富士のこの仕切り、いつ頃から始まったのかな。
私には、違和感がある。
今までならば、まだよし、としよう。しかし、この仕切りは美しくない。横綱の仕切りではない。
日馬富士を横綱に推挙した後、横綱審議委員会は、こういうことを日馬富士に突きつけた。横綱の品格に関し。曰く、張り手やけたぐりはするな。ダメ押しはするな、とも。ダメ押しをするなは、確かにそう。ダメ押しは、見苦しい。
でも、張り手やけたぐりをするなとは、一体どういうことなんだ。私は、訝る。理不尽である。それなら、白鵬の張り手からのカチ上げはどうなんだ。立派な技である。なら、日馬富士にも許すべきじゃないのか。
日本相撲協会、また、横綱審議委員会、日馬富士をどうしよう、と思っているんだ。
幕と十両の間を行ったり来たりしている100キロに充たない極端な超軽量力士・隆の山が、来場所は、また十両へ落ちる。と、幕内最軽量の力士は、日馬富士となる。
その男が、横綱となるのだ。俊敏性、スピードと、反射神経で勝負しなきゃならないだろう。決まりきったことである。張り手もけたぐりも、一瞬の動きである。それを禁じるなんて、理不尽以外、何物でもない。
相撲協会にとっていいことなのか、そうでないのか、何とも言えないが、白鵬の今をどう見ているのか相撲協会は、ということを考える。
白鵬は、日馬富士よりも一つ年下である。横綱になった時には、まだ22歳であった。その若者が、絶対者となった。誰も、彼に勝てる力士はいなかった。この2年半の間は、ますますそうなった。
絶対者・白鵬、何を考えたか。角聖になろう、と考えた。私は、そう思う。
白鵬、角聖になろう、と考えたんだ。昭和の角聖・双葉山になろう、と。自分は、平成の双葉山、平成の角聖のなろうとした。双葉山の故郷へも行っている。双葉山の戦法・”後の先”も研究している。
私は、思う。白鵬、それは少し違うよ、と。
連覇連覇の白鵬がそう考えることは、解らないじゃない。しかし、やはり、違うんだ。形式、形に陥っちゃうんだ。致したかないことではあるが、やはり、そう。
ここ3場所、賜杯を逃している白鵬、その原因は、このことにあるのじゃないか。私には、そう思えてしかたない。
ところでだ。
張り手やけたぐりを禁じながら横綱に推挙した横審、何を考えているんだ、と思うよ。日馬富士、そんなことでは、横綱の地位を保つ成績を上げるのは難しい。全勝することもあるが、2桁の勝ち星を上げられないこともある。そういう相撲取りなんだよ、日馬富士は。
だから、彼の手足を縛るべきではない。日馬富士に、大横綱を求めることは間違っていることを知るべきだ。彼が言う通り、「わたしは、わたし」、ということを考えてやらなければ。
それでいいのである。そう思うことが肝要だ。

9月場所千秋楽の結びの一番、1分50秒近い熱戦であった。

幾つかの動きがあり、左四つになった。
日馬富士、頭をつける。徐々に有利な態勢となる。

日馬富士、下手から投げを打つ。
この時には、右下手となっていた。右下手からの投げ、2度、3度と打つ。

白鵬、たまらず土俵に落ちる。

私には、まさか、という思いがある。
しかし、現実は、日馬富士の2場所連続全勝での連覇となった。こういうことが、現実に起こった。

この人が来ていた。
ドルゴルスレン・ダグワドルジの姿がある。弟分の日馬富士の2場所連覇、横綱昇進を決めた一番を観に、モンゴルから駆けつけたそうだ。

この人も出てきた。
野田佳彦、今日はニューヨークの国連で演説をしていたが、何日か前には、国技館の土俵の上で、内閣総理大臣杯を日馬富士に渡していた。
日本人の男の子、何がやりたいかのプライオリティーの高いひとつが、この大相撲千秋楽での優勝杯の授与なんだ。後はない野田佳彦、いい思い出ができたんじゃないか。

ところで、この男・妙義龍、1年前に入幕したばかり。
3場所連続で技能賞を取った。今場所も10勝をあげた。
今場所の対日馬富士戦、スパッと2本が入った。前へ出た。とっさの首投げに敗れた。来場所からは、そうはいかない。妙義龍、学習したので。
おそらく、妙義龍、新横綱・日馬富士に対しても、半々の勝負をくり広げるのではないか。
次代の大関候補としては、豪栄道や栃煌山がいる。しかし、私は、次の大関は、妙義龍だと見ている。おそらく、1年後、妙義龍の大関問題が持ち上がっているに違いない。
妙義龍の姿、やけに渋いんだ。遥か昔の力士を思わせる。大関・琴ヶ浜のような。渋い力士を。
その後どうなる。
私は、こう考えている。
今、日馬富士は横綱となった。なら、次の横綱は誰だ。誰しもがそう思う。
私は、こう思う。
多くの日本人が願う稀勢の里でもなく、琴奨菊でもなく、また、把瑠都でも鶴竜でもなく、このたった1年前に入幕した妙義龍が、横綱になっているのじゃないか、と。
妙義龍、さほど身体に恵まれているとは言えない。187センチ、145キロである。現在の幕内力士の平均よりは小さいか。
しかし、妙義龍の姿、どことなく、あの栃錦に似ているように思える。 身体はさほどでもないが、”マムシ”と恐れられた栃錦に。
蹲踞から仕切りに移る姿など、とてもよく似ている。体型も、大きくはないが、まあ、何とかなる範囲内。
妙義龍、今後2、3年、大暴れしてくれるであろう。渋い横綱が誕生するかもしれない。可能性は、大である。
久しぶりの相撲、このようなことを考えた。