龍安寺(続き)。

方丈に入る。石庭が目に入る。
大雲山 龍安寺、臨済宗妙心寺派の禅寺である。

龍安寺の石庭、東西約25メートル、南北約10メートル、約75坪の空間である。
白砂を敷きつめ、5か所に15個の石を配したものである。

概ねほとんどの人は、このような格好で何かを解かろうとしている。
しかし、解かるか解からないか、何かを感じるか感じないか、ほとんどの人には、まあ、解からない。何となし、そういう感じになったことにしておこう、というのが大方のところである。でも、それでいい。そう思う人は正直な人である。それでいいのだ。

龍安寺の石庭、5か所15個の石で構成されている、と先ほど記した。
これは、左側、東の方の石の島二つ。左の島は、5つの石で、その右の島は、2つの石で構成されている。

こちらは西の方。
石は、3、2、3個で構成されている。
石庭の持つ意味、さまざまである。
<禅では自己が「三昧」、「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、・・・・・この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を越えて、静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう>、とチケットの裏にある。
そのようなこともあろう。ただボケーっとしているだけ、ということもあろう。私は、後者かな。

最も多い5つの石で構成されている東側の島、レンズを近づけるとこう。
龍安寺の石庭、「虎の子渡しの庭」とも言われている。こうして一つの島のみ取り出すと、たしかに、そういう厳しさがあるな、という気がする。

でも、しかし、龍安寺の石庭、こういう”間”のある方がいい。
白砂の海に浮かぶ二つか三つの島、その”間”がいい。さらにいいのは、後ろの土塀である。その色合い、風合い、何とも言えない。
菜種油を混ぜた土で造られた油土塀、何て美しいのだ。

方丈の天井。
「これは一枚板の通り天井だ。禅宗建築の約束事なんだ」、という声が聴こえた。
京都の社寺、中学生を5人ほど連れたオジさんによく出会う。修学旅行かどうかは知らないが、どうも中学生、タクシーで寺社を廻っている模様。運転手がガイドを兼ねているものと思われる。聴こえてきたこの声の人も、恐らくそういう人であろうと思われる。
禅宗建築の約束事の”通り天井”、私も勉強させてもらった。

”吾れ唯足ることを知る”、といういわゆる”知足の蹲踞”。
”吾唯足知”の”口”を共通にし、時計回りに表現している。

方丈から庫裡へ戻る。こういう額がある。
「通気」という文字。雄渾にして豪放磊落。昨日の陶淵明の詩や「雲關」と同じく、寺西乾山なる人の筆。紫芝山人は、その雅号。明治期、龍安寺の門前にいた漢学者だそうである。

その額の意は、こういうこと。

方丈へ繋がる庫裡の出入り口。
「元々台所で云々」、という声が聴こえた。庫裡、たしかに台所である。
出入り口の女性に尋ねた。「そうなんです。台所だった所です」、と言う。そして、

「ほらそこ、台所のタイルのようなものが残っているでしょう」、と言う。たしかに、残っている。

天井も高い。ずっと吹き抜け。煙を逃がすため。

石庭の方丈と庫裡を出た後、境内を歩く。
龍安寺、石庭ばかりじゃなく、石を配した所はあちこちにある。ここ苔で覆われた所にも、石が配されていた。

回遊式庭園の鏡容池の周りを歩く。

昼近かったと思うが、まだ咲いている睡蓮もあった。