青もみじ巡り(32) 芬陀院。

東福寺、大寺である。一時は、80余の塔頭寺院が甍を連ねていたそうだ。現在でも、その塔頭の数、25か寺を数える。

味のある築地塀が長く続く。
この向うが、東福寺の塔頭のひとつ・芬陀院。

芬陀院の小ぶりな山門。
芬陀院、雪舟寺でもある。

より詳しくは、これで。

ここから入る。方丈入口。

オッ、石組みの鶴亀が見えてきた。雪舟庭園である。

方丈南庭。
画聖・雪舟の作庭による”鶴亀の庭”。
<様式は禅宗式枯山水、・・・・・、京都で最古の枯山水庭園の一つとされる>、と芬陀院のパンフにある。

<向って左の「鶴島」は折り鶴を、右の「亀島」は二重基壇により亀の姿をそれぞれあらわす。・・・・・。二度の火災と永い歳月のなかで荒廃し、・・・・・、惜しまれていたが、昭和14年(1939)作庭家重森三玲氏の手により、一石の補足もなく復元された>、とパンフ。

その際に重森三玲は、同じく鶴亀の島を題材とした庭を作っている。
東庭である。

<南庭が亀島を中心とするのに対し、東庭は鶴島を中心に構成されていることを特色とする>、と芬陀院のパンフにあるのだが、どこがそうなのか難しい。

芬陀院の創建者・関白一条恵観、茶関白と言われた、という。その茶関白が茶を楽しんだ茶室・図南亭が復元されている。

復元された図南亭の西側の路地。
<茶関白愛用の勾玉の手水鉢、崩家形燈籠を配している>、とパンフ。
この中央部に見える二つがそれである。なかなか渋い。

こちらも。

帰り際、もう一度雪舟作の南庭を見た。

雪舟の庭、鶴亀の庭。

そう言えば、私が芬陀院にいる間、私以外の訪問者はただ一人であった。
「断って撮らせてもらっています」、という大きなカメラの女性のみ。南庭の廊下に化粧品のような小さな物を置き、撮影していた。「商品撮影ですか」、と訊いたら、「そうです」、と返ってきた。
仕事の邪魔をしてはいけない。どのような媒体に載るのであろうか、訊かなかった。

この小ぶりな中門をくぐって、大寺・東福寺を後にする。

JRの東福寺駅までは、徒歩8分。
夕刻の京都駅で、駅弁と京都新聞を求め新幹線ホームへ。


W杯が始まったり、古い仲間とのグループ展をやったり、と飛び飛びとなりましたが、京都の「青もみじ巡り」、これで終わります。