パリ+リスボン街歩き  (41) ウディ・アレン(続き×4)。

パリに住むアメリカ人のゴッドマザーというより、パリのアーティストのゴッドマザーというべきガートルード・スタイン、1903年からパリに住む。
30少し前という年頃である。アメリカでは医学を学んだが、医者にはならず物書きとなる。金には不自由していない身でもある。兄の一人とフルール街27番地のアパートに住む。
その翌年あたりから美術作品を収集しはじめる。その当時の現代美術を。兄貴のレオと二人して。
こういうものだ。
『アリス・B・トクラスの自伝 わたしがパリで会った天才たち』から、トクラスいや、スタインの言葉を引くと、
<・・・・・けれどもとにかく、その当時はあらゆる種類の絵がありました。もっともその後、セザンヌとルノワールとマチスとピカソだけしか懸っていなかった時代、そしてその後にセザンヌとピカソだけという時代もありました。しかしその当時マチスとピカソとルノワールとセザンヌがじつにたくさんありました。だがその他のものも無数にありました。ゴーギャンが・・・・・>、と。
こういう作品が、フルール街27番地のガートルード・スタインのアパートの書斎には掛かっていたんだ。だから、そこはパリのアーティストのサロンとなった。
マティスと知り合ったきっかけも記されている。
第一回目のサロン・ドートンヌへのマティスの出品作「帽子の女」を、500フランで買ったそうだ。それがきっかけでマティス夫妻との付き合いが始まった、とガートルード・スタインは書いている。

この件、ウディ・アレンも『ミッドナイト・イン・パリ』の中に取り入れている。それが、さすがウディ・アレン、笑っちゃうんだ。
ガートルード・スタインが、マティスの絵を500フランで買う。と、横にいた21世紀の住人(この映画の主人公ですよ)のギルがこう叫ぶんだ。
「それは、お買い得だ。ボクも買いたい」、と。
100年以上前と現在、貨幣価値の違い、解かってはいるのだが、やはり笑える。ウディ・アレンの腕のひとつ。
その翌日のことだったか、やはり夜中の12時、黄色いプジョーに乗って1920年代のパリへタイムスリップしてきたギル、あの”妖艶を3乗”の美女・アドリアーナとパリの街を歩いている。ピカソの愛人であろうと、ヘミングウェイとアフリカへのという出奔歴があろうとも、そんなことはどうってことはない。
マキシムで食事をし、ムーランルージュでフレンチカンカンを観ていたら、何と向こうの方によく知る人がいる。椅子の上に胡坐をかくように座っている小さな男、ロートレックじゃないか。と、ドガとゴーギャンもいるではないか。
何じゃここは。1920年代ではない。19世紀末、ベルエポックの時代にタイムスリップしたらしい。アドリアーナは、1920年代よりこのベルエポックの時代がいい、という。と、ドガは、こう言う。
「ルネッサンスの時代に生きたかった」、と。
ギルはどうか。1920年代でいいんだ。いや、1920年代がいいんだ、かな。
アドリアーナとも別れるころかな。


ピカソが1909年に描いた「ガートルードへのオマージュ」。
『アリス・B・トクラスの自伝 わたしがパリで会った天才たち』の口絵を複写した。
ガートルード・スタインとパブロ・ピカソ、スタインの方が6つか7つ年上。スタインもピカソの才能は買っていたが、ピカソもスタインには頼っていた面がある。特に、女出入りのもめごとでは。
『アリス・B・トクラスの自伝 わたしがパリであった天才たち』には、時折り出てくる。

アーネスト・ヘミングウェイ著『移動祝祭日』の函の後ろ。
半世紀近く前の書、ずいぶん薄汚れ、帯も破れている。しかし、若き日のヘミングウェイの顔写真の下に刷ってある文字は、何とか読めるであろう。
『アリス・B・トクラスの自伝 私がパリで会った天才たち』の終わりの方に、こういう記述がある。
<わたしたちがパリに戻ってから最初に起こった事件は、・・・・・ヘミングウェイの到来でした。・・・・・かれは二十三歳、すごく男っぷりのいい青年でした。誰もかれもが二十六歳だったのは、それからあまりあとのことではありません。・・・・・>、と。
23歳、そして、26歳だったのだ。ピカソは少し年上だったが、スコット・フィッツジェラルドも、アーネスト・ヘミングウェイも、サルバドール・ダリも、皆20代だった。恐いものがない20代だ。
それはいいが、そろそろ終わろう。
ピカソにしろ、ヘミングウェイにしろ、ダリにしろ、ブニュエルにしろ、ロートレックにしろ、そのそっくりさんは面白くもあり、楽しかった。
でも、女優陣じゃないかな。凄かったのは。
ガートルード・スタインに扮したキャシー・ベイツは、さぞや、という佇まいであった。マリオン・コティヤールのアドリアーナは、まさに、”妖艶を3乗”。
カーラ・ブルーニも出てくる。昨日の総選挙では、またまた大敗したようだが、ニコラ・サルコジのカミさんだ。この作品、撮影していたのは去年だから、カーラ・ブルーニ、まだ大統領夫人であった頃だ。カーラ・ブルーニ、たしかに、アメリカにはない顔。ヨーロッパの顔だな。
最後にパリの町娘を登場させるのもいい。クリニャンクールの古道具屋の娘なんだ。
ギルとその娘、アレクサンドル三世橋の上で行き会う。
ウディ・アレン、あくまでもパリの絵ハガキを意識したな、という映像なんだが、それがすとんと腑に落ちる。