ジゴロ・イン・ニューヨーク。
昨日のブログの末尾の部分、何だかよく解からないな。
『ブルー・ジャスミン』のケイト・ブランシェット、虚栄癖の抜けないどうしようもないイヤミな女の演技で、アカデミー主演女優賞は確実、と言われていたところへ降ってわいたウディ・アレンのスキャンダル。その煽りで、ケイト・ブランシェットの受賞も吹っ飛ぶのでは、というものであった。
しかしー、というものである。ウディがらみ、とにかくややこしい。
ウディの今のカミさん、韓国系のスン・イーは元々ミア・ファローの養女である。ウディとミア・ファローがパートナーであった頃は、ミア・ファローの連れ子である。ウディ、その子供に手を出した。ウディとミア・ファロー、正式に結婚してはいないから法的には問題ない、という。
しかし、この春大騒ぎとなったウディがらみのスキャンダルは、また別。スン・イーとは別のミア・ファローの養女にもウディが手を出していた、というもの。ウディ・アレンの実子となっていたが、実はフランク・シナトラとの間の子供である、とミア・ファローが示唆したべらぼうな天才、ローナン・ファローがウディを攻め立てる。
ミア・ファローも凄い。ミア・ファロー、大女優であるが、常人の及ばぬ感覚の持ち主。4人の実子に養子も含め14人の子供を持つ。
スン・イーや今回の問題を提起した女性を含めた養子。実子では、桁外れの天才、ローナン・ファローも。父親がウディ・アレンであれフランク・シナトラであれ、母親はミア・ファローである。彼女の頭の回路、どうなっているのであろうか。
また、ローナン・ファロー、昨今の”イスラム国”の問題では、オバマにどのようなアドバイスをしているのであろうか、な。
ジイさんの代からニューヨーク・ブルックリンで書店をやってきたマレー(扮するは、ウディ・アレン)、書店をたたむこととなる。「皆、本を読まなくなってしまった」、と。知り合いの花屋のバイト、フィオラヴァンテ(扮するは、ジョン・タトゥーロ)にジゴロをやってみないかと持ちかける。
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』、脚本、監督は、ジョン・タトゥーロ。
ウディ・アレン、そのプランに惚れこんでさまざまなアイデアを出したようだ。つまり、脚本に口を出したようだ。同じニューヨーカーであるタトゥーロも先輩の言を受け入れた模様。
”ジゴロ始めました。・・・・・”。
何やら二人組の足音が。
この二人組だ。
書店をたたんだマレー、花屋のしがないバイト、フィオラヴァンテにこう持ちかける。ジゴロをやろう、と。
腰が引けるフィオラヴァンテに、マレー、こう言う。「お前はセクシーだよ」、と。報酬の分け前は、フィオラヴァンテ6対マレー4と決める。
ウディ・アレンとジョン・タトゥーロが組んだ映画『ジゴロ・イン・ニューヨーク』、絶好調。
一回1000ドルのジゴロ業も、商売繁盛である。
ところがである。ジゴロのフィオラヴァンテ、厳格なユダヤ教のラビの未亡人・アヴィガル(ヴァネッサ・バラディ)に恋心を抱いてしまう。客に恋心なんて、ジゴロにとっては禁じ手である。
それより何より、ポン引きのマレー、ユダヤ教の審議会にもかけられる。ポン引きは、石打ちの刑である。ユダヤ教って凄いんだ。
彼ら、恐らくハシディズム、敬虔主義、超正統派のユダヤ教徒であるようだ。
ところで、多才なウディ・アレン、短編小説の名手としても知られる。
その最初の書は、1971年、ランダム・ハウスから出版された『Getting Even』。その書、多くのものは、高級誌「ニューヨーカー」に発表されたものである。日本では、1981年にCBS・ソニー出版から伊藤典夫・浅倉久志訳で『これでおあいこ』というタイトルで出されている。
同書に、「ハシディズム説話、および著名学者によるその解釈の手引」、という短編がある。マンハッタンからイースト川を渡り、ウィリアムズバーグのハシディズムの一種の閉鎖社会。
ユダヤ系のウディ・アレン、それを揶揄する。
<思い出すのは、ある日の午後、南仏のあるゲイ・バーで、足を北仏のほうに伸ばしてくつろいでいたときだ。ガートルード・スタインが、・・・・・。ピカソは非常に面白がったが、マチスとわたしはそれをきっかけにして、アフリカへと旅立った。七週間後、ケニアで、わたしたちはばったりヘミングウェイに再会した・・・・・・>。
ウディ・アレン短篇集『これでおあいこ』の中、「1920年代の思い出」の文中。
『ミッドナイト・イン・パリ』の世界じゃないか。ウディ・アレン、若い頃からヨーロッパへの憧憬は強かったんだ。
新宿武蔵野館の隅っこの方で、コートのポケットに手を突っこんだウディ・アレンが突っ立っていた。