パリ+リスボン街歩き  (42) ギュスターヴ・モロー美術館。

地下鉄12号線のサン・ジョルジュ駅で降り、地図を広げていると声がした。「ギュスターヴ・モローの美術館へ行くのじゃないの? だったら、ついてらっしゃい。私たちも行くのだから」、と。
顔を上げると、60代半ば、と思われる女性。目が笑っている。横には、モシャモシャ髪のジイさんが立っている。

この女性だ。深いグリーンの短めのコートにグレーのマフラー、ごく普通のブーツ。地味ではあるが、とてもシック。
パリの女だな、と思い聞くと、地方の生まれ、パリに来てから40年以上になる、という。じゃあ、パリ女だ。腕を組んで歩いている連れの白髪頭のジイさんは、友だちだ、という。
そうか、パリの60代のバアさんは、70ばかりの友だちのジイさんと、ウィークデーの昼すぎ、ギュスターヴ・モロー美術館へ行き、デートしてるんだ。シャレてるね。
この女性、スキップをするような足取りですぐ前を行く。

ここで、左へ曲った。
実は、ギュスターヴ・モローの美術館へは、今までも来ている。降りた駅が違うんだ。今まではトリニテ駅で降りていたのかもしれない。

ラ・ロシュフコー街14番地のギュスターヴ・モロー美術館。
建物には、国立の施設であることを示す三色旗が掲げられている。

国立ギュスターヴ・モロー美術館の扉。
扉を押して入ってくれ、と書いてある。

ギュスターヴ・モロー美術館、ギュスターヴ・モローの住居兼アトリエを美術館としたものだ。入ると、まずこういうプレートが掛かっている。
「ギュスターヴ・モローのアパルトマン 小さな部屋には入場者の数を制限することがあります」、というようなことか。
ギュスターヴ・モロー、聖書や神話の世界を多く描いている。1898年に死んだ。
だからかどうか、ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』には出てこない。1920年代のゴールデンエイジと1880年代のベルエポックの間に当たるんだ。ハリウッドの売れっ子脚本家・ギルが会うことはなかった。それ以前に、ゴッドマザー、ガートルード・スタインの興味の対象外だったのかもしれない。ガートルード・スタイン、新しいもの好みだから。
でも、それもいいが、ギュスターヴ・モローも凄いね、という人も多い。

ギュスターヴ・モローの居室のひとつ。
実は、ギュスターヴ・モロー、死の何年も前から、自分が死んだ後はこうしてほしい、と考えていた。
自らの住居とアトリエ、そして何千もの作品のすべてを国家に寄贈したい、と。そのために、さまざまな手はずを整えてきた。しかし、国家に寄贈したいと言っても、そう簡単には認められないんだ。ギュスターヴ・モローであっても、国家が受け容れるまでには、多くの経緯があったそうだ。

ここも、住居としての部屋。
多くの写真や絵を入れた額が掛かっている。

窓の外から裏庭が見えた。裏の家の庭かもしれない。

このような部屋が幾つかある。
壁には、多くの写真や絵の入った額が掛かっている。小さなベッドがあり、チェス盤がある。休憩室としてでも使っていたのかな。
小ぶりではあるが、目眩くギュスターヴ・モローのアトリエの中には、明日入る。