我が道。

古くからの仲間である二人の女流の展覧会があった。期日はほぼ同時期、会場は銀座と新宿。先週末の金曜日、仲間内と語らって観に行った。
銀座、新宿と、両会場を回った後、みんなで居酒屋で飲んだ。さほど飲んだわけではないが、帰りに首が痛くなった。何度も休んだ。
実は、その1週間ほど前から首が痛い。近所のかかりつけの医者に行った。レントゲンを撮ると、頸椎の一部が石灰化している、という。血液検査もしたが、ヒョットして、と思っていた腫瘍の恐れはない、という。「あなたねえ、こんなとこの腫瘍、ガンなら死んじゃうよ」、と医者はこともなげに言う。
風邪をひいた、と行っても、熱は何度かとか、測ったかとも聞かない医者だから、首の腫瘍なら一巻の終わり、とたちどころに判断を下せるのだろう。そうではないようだが、首が痛い。でかいシップを貼っている。
金曜の夜、そして、土、日、と何もしないで時を送った。首の痛いことにかまけ。相撲は観た。14日目と千秋楽、面白い展開であった。
その前に、女流二人の今回の作品を載せておこう。

二科の久保寺洋子、時折り仲間内とのグループ展を行なう。昨年同様、銀座の澁谷画廊での「SENSE」展。気ままな作品を発表している。
15点ばかりの出展作、技法は、いずれもミックスドメディア。さまざまな技法を使ってますよ、というもの。ここに写っている作品は、紙を染めたものを使っているそうだ。

久保寺洋子、京都、島原の置屋、輪違屋の花魁を、ずっと描いてきた。100号の大作に。小品ではあるが、これはその流れをくむもの。

こういうものも。
ミックスドメディアでさまざまな技法は使っているのであろうが、描きたいものを描きたいように、気負いなく描いている。

その中の1点、「ロシア人形」。文句あっか、だな。

新宿ヒルトン地下のヒルトピア・アートスクェアでの真樹会展への後藤亮子の出品作。
「宙Ⅰ」から「宙Ⅴ」までの5点。すべてF10。

「宙Ⅰ」というこの作品、ホルベイン賞を取っている。
後で気がついたが、後藤亮子は昨年の真樹会展でも賞を取っている。「アルⅠ」で、マツダ賞を。
そういえば、”アル”は、”離る”か”散る”か、なんてことを考えていた。

毎年、賞を取っていいのか。団体展で。去年も取ってるなんて忘れていたので聞きもしなかったが、いいのかな。


今年の後藤の作品、すべて丸いような輪っかが描かれている。
後藤亮子は言っていた。「作品を描いてしまうと、もうそれがイヤになる。忘れたくなる」、と。この輪っかもそうであろう。
それはそれでいい。我が道を歩んでいる女流二人はこれで措く。
共にご亭主を亡くした後、我が道を悠然と歩んでいる。
それはそれとする。一昨日、昨日と、相撲を堪能した。首が痛くてあまり出歩けない副作用。
旭天鵬のまさかの優勝に、快哉を叫んだ。
20年前、日本へ来た時の写真が出てきた。旭鷲山なんかと一緒の写真。痩せっぽちの16〜7歳の少年。厳しい稽古に耐え切れず、モンゴル大使館へ駆け込んだり、モンゴルへ逃げ帰ったり。大島親方が迎えに行く。戻って修業。
同期の旭鷲山は、今、モンゴルの国会議員。後輩の朝青龍、白鵬は横綱となる。日本へ帰化した旭天鵬は、思いもしなかった幕内優勝を遂げる。37歳8か月で。
国技館からの優勝パレード、白鵬が、モンゴルの先輩である旭天鵬の旗手を自ら志願し務めた。素晴らしいこと。旭天鵬の優勝は、多くの記録を打ち立てた。
それはいい。私は今、もう一人の37歳のアスリートのことを考える。やはり、我が道を行く男。
フロリダ半島にいる松井秀喜のことである。
タンパベイ・レイズとマイナー契約をした松井秀喜、若い連中と共に、正視するに不忍、という状態に身を置く。ワールドシリーズでMVPになった男だ。その松井だ。その松井がマイナー契約だなんて、腹の中が煮えくりかえる。報酬が、全盛期の百分の1にも満たない、なんてことは問題ではない。
今の松井秀喜、報酬などいらない。メジャーの舞台に立つことこそが一番の望みである。
それが、松井秀喜の”我が道”であろう。しかし、厳しい。
さまざまな人に、”我が道”がある。