早稲田美研60−70 第7回展 出品録(2)。

出品録、続ける。

美研60−70の仲間の中、年間を通じ最も多く作品を発表しているのは犬飼三千子である。
この2〜3か月の間に団体展の他にグループ展が2回。来週にもグループ展が2回ある。この美研60−70展を入れれば、この2〜3か月の間に6回の発表。
「私、誘われたら断らないの」、と豪語しているだけのことはある。
それはともかく、犬飼三千子の上の作品、タイトルは、共に≪花に寄せて≫。油性、木版。
不思議な形、不思議な色。
犬飼三千子、ひと月ほど前の第57回新象展にも、タイトルは異なるが、このような色彩と形、線の作品を発表している。その折りには、特別企画としてエスキースも。色、形、このような。
色にうるさい杉浦良允は、こう言う。
「この色遣い、自分にはとても考えられない」、と。
両者を知る私は、「たしかに、そうだな」、と。

犬飼三千子、こう言っていた。
「日本人は、黒っぽいくすんだ仏像が好きだけど、本来の仏像はそうじゃないのよ。ハデハデなのよ」、と。たしかに、そうである。そのことは、私も知っている。しかし、そうは言っても、私は、色の落ちた仏さまの方が好きだけど。
それはそれとし、犬飼三千子の色彩感覚、並みのものじゃない。

どういうワケか、少し色が変わってしまったが、この線も。
凄いんじゃないかい。

後藤亮子の作品。
タイトルは、≪日常1≫から≪日常5≫まで。キャンバスに油彩。

ガラスの入った額故、映りこみが多い。
後藤亮子に申しわけなし。

後藤亮子、1〜2か月前団体展へ出品していた。今回の作品、その時の作品とは趣きが異なる。
まだ、映りこみはあるものの、その色調は分かる。

グリーンに褐色の何か。
ここ何年もの後藤とは違う。
後藤亮子、飛んだんだ。おそらく。

K.S.の作品。
左は、≪La metamorphose;La mer≫、右は、≪La metamorphose;La foret≫。
”e”には、アクサンが付いているが、打ち方が解からぬ故、そのままとした。
コラージュ。
K.S.、コラージュ療法の専門家である。メタモルフォーゼ、変身、変態、何らかの意味があるのであろう。

”海”である。
南海の魚や大きな亀が泳いでいる。中央の人物は、ポリネシアの巫女か。

林というか丘というか、いずれにしろそのような場所。
後ろのパゴダから思うに、ラオスかミャンマーのようだ。
多くの花々が咲いている。その中で、小坊主がノートパソコンを操作している。
東南アジアでは、まま見られる光景である。2〜3年前、チェンマイのお寺で何人かの小坊主が、ノートパソコンでゲームをしていたのを見たことがある。
それはそれとし、メタモルフォーゼとの関連は解からぬが。

G.H.の作品。
左から、≪ココマデ≫、≪KOKO≫、≪KOKOから≫。いずれも、キャンバスにアクリル。
カタカナに、ローマ字、そしてローマ字にひらがな。
時の流れ、ということは解かる。でも、表記の異なり、どういうことなのか。
G.H.、実直な男で、民生委員や成年後見人といった、世のため、人のため、といったことををやっている。訊けば、その活動、まったくのボランティア。えらいもんだ。しかし、その描く絵は少し解かりづらい。

これは、真ん中の≪KOKO≫。
赤い中に、ブランデーグラスのようなものが描かれている。
その底に何かある。小さなものがある。

この人物は何なんだ。何者なんだ。
何かな―。
如何様にも考えられるが、しかとは解からない。どこか、ふわふわっとした感じはあるが。

S.S.の作品、≪無垢≫。木版画。
「おじいちゃんに似ているじゃないか」、と言った。「いや、これは眠っているところなんだ。それがまた可愛いんだ」、とS.S.は言う。
”無垢”の時代である。可愛い。
”無垢”の”無”は、その内、”有”に変化する。”有”の度合いが、どんどん増していく。それが大方の人生であろう。
≪無垢≫の坊や、とても可愛い。