パリ+リスボン街歩き  (20) シャンゼリゼ。

凱旋門を下りた後、地下道を通りシャンゼリゼの方へ出る。シャンゼリゼも少し歩こうか、と。

凱旋門を背に歩く。

シャンゼリゼ、道幅70メートル、約3キロにわたり続く。

ベトナムの三輪自転車タクシー・シクロのようなものが走っている。旧植民地からの逆輸入であろう。東京でも、今、人力車が走っているのと同じ。

シャンゼリゼ、両側の並木はマロニエである。
あの、いかにも、という歌い手、エト邦枝、青江ミナ、ちあきなおみ、キムヨンジャたちが歌う歌。”花はマロニエ シャンゼリゼ”、と「カスバの女」で歌われる、シャンゼリゼのマロニエの並木。
さらに、右側のディオールの広告のモデルを見ていると、より古い時代のことも思われる。このディオールのモデル、美人の範疇に入るのか、解からない。しかし、この手の顔、パリの女の顔である。パリのいい女である。パリのいい女は、絵具で描いた顔でなく、パステルで描いたような顔である。ずいぶん昔にも、このような女がいた。
ジュリアン・デュヴィヴィエの1937年の映画、『望郷』の女、パリからアルジェに来た女。ミレーユ・バランが演じたギャビー、このようないい女であった。
パリで悪事を重ね、アルジェのカスバに逃げこんできている男はペペ・ル・モコ、ジャン・ギャバンが扮した。パリから来た女・ギャビーにはシャンゼリゼの香りが纏わりついている。それが、ペペ・ル・モコを惑わせる。そして、狂わせる。
ジャン・ギャバン、ペペ・ル・モコにとってのパリは、シャンゼリゼである。そして、その香をおびた女。

何とも言えぬロマンチックなそのような時に、何ともな話であるが、Aが突然、トイレに行きたい、と言いだした。適当なデパートでもあればいいが、それはない。
ナイキの店があった。ここならトイレはある、行ってこい、と言って送り出した。暫くして、Aが戻ってきた。トイレはなかった、と言って。

斜め向かいに、メルセデス・ベンツのショールームがあった。ここならトイレはあるだろう、と思い中へ入った。
ダークスーツをビシッときめ、ネクタイ姿の隙もないという黒人の係り員がいた。その男に、「トイレを貸していただきたい」、と言った。返ってきた答えは、「トイレはない」、というもの。日本でも、メルセデス・ベンツの顧客になったことはない。ましてやパリでベンツを買う男とは、どうしても見られないこと、自明の理である。トイレを貸してくれないのも、仕方ない。
ところが、すぐ近くにファーストフードの店があった。マクドナルドのような店。その店に入り、トイレを貸してくれ、と言った。
若い男の子、いいよ、と言い、硬貨がいるのでチョット待ってて、と言い、硬貨を取りに行ってくれた。暫くして、その若い男は戻ってきた。硬貨を持って。何て親切なヤツなんだ。横にいるAに、1ユーロでも2ユーロでもいい、ともかくユーロのコインを出せ、と言った。
その若い男、カウンターの上に乗せられたユーロのコインを見て、「これ、オレにか」と言い、「そうだ」と言うと、「メルシー」と言って取りさった。「いや、いいですよ」なんてグズグズ言いうより、気持ちのいい対応であった。

その近く、上の方にクラリッジと書いてある。あの4つ星のクラリッジであろう。

その地下には、フナックがある。
パリに着いた初日、リュ・ド・ピラミッドのツーリスト・インフォメーションで幾つかのパンフレットをもらった。1週間のパリ滞在中、観ることができるものが幾つかある。
12日のサント・シャペルでの「アベ・マリア」のコンサート。ここのフナックで席が取れた。最もいい席、44ユーロであった。
オペラ・バスティーユでの、オペラとバレエのチケットも調べてもらった。パリにいる1週間の内に、オペラ、ドン・ジョバンニと、ルドルフ・ヌレーエフ振付けのバレエ「ラ・バヤデール」の公演に行きあたる。しかし、こちらのチケットはなかった。当日券を求め、その日に並ぶという手はあるが、今回は一人ではない故、そこまではしなかった。

シャンゼリゼのディスプレイをひとつぐらい。店頭のモノクロの展示が洒落ている。

シャンゼリゼから横丁に入る。
8時過ぎであったであろうか。夕飯を食うために。
今回、昼飯と夕飯の2回の飯代、合計で50ユーロ程度を目安としていた。日本円では、5〜6千円。ビールやワイン代は大したことはない。カフェ、ブラッスリー、ビストロ、中にはレストウランという所もあるが、概ね安食堂である。
碌な料理は喰わない。よく頼むのは、”今日の定食”。前菜に何か主采がひとつ、というもの。14.80ユーロとか、24.50ユーロとかというもの。この日も、そのようなものであったような気がする。

その後のシャンゼリゼ。10時過ぎであったか。