「私はシャルリ」、と言い切れるか。

今日の全世界を覆う潮流に、やや異を唱えることを記す。
パリの風刺週刊紙「Charlie Hebdo(シャルリ・エブド)」がテロリストに襲われ、12人が殺されたのは7日。内4人は、風刺漫画家。
日本時間今日未明となる現地時間昨日、大規模な追悼デモが行なわれた。

今日の朝日新聞朝刊。
パリのレピュブリック広場。デモ行進前の写真。記事には、数十万人の人が参加する、とある。
レピュブリック広場、パリ中心部からは少し離れたところにある。周りには安い宿も多い。何度か泊まった。懐かしい。レピュブリック広場からナシオン広場まで行進するようだ。
フランス大統領・オランド、各国首脳へも追悼デモへの参加を呼びかけた。40か国を超える首脳が参加した。

夜7時のNHKニュース。
何と、パリでの追悼デモには150万人以上が参加、フランス全土では370万人を超える人たちが参加した、という。第二次世界大戦でのナチスドイツからのパリ解放以来の数だそうだ。
オランドやドイツのメルケル、イギリスのキャメロン、さらにイスラエルのネタニヤフ、パレスチナのアッバス、・・・・・。皆さん手を組んで行進する。
オランド、なかなかやる。

Le Monde(ル・モンド)のウェブサイト。
ベルリンやウィーン、マドリードなどのヨーロッパの国々ばかりじゃなく、ベイルートやエルサレム、ブエノス・アイレス、さらにはネパールのカトマンドゥでの追悼の模様が出てくる。
上は、リバプールでの若い女の模様。
リバプールだから、”Je suis Charlie”が、”We are Charlie”となっている。
フランスでも、”Je suis Charlie””から”Nous sommes tous Charlie”、と変化している場面もある。
それよりも、”私はシャルリ”、と世界中がそう言っているのだが、はたしてそうか。幾分の疑問がある。
そう言いきれるのか、という思いが。
フランス国旗の三色旗は、自由、平等、博愛を表わす。
特に、リベルテ・自由こそ、フランスという国を象徴する概念である。
しかし、すべてが自由か、ということを考える。イスラムの祖・ムハンマドを、これでもかと茶化していいのか、と。
日本に当てはめれば、天皇を茶化されたようなもの。座視できるか。
できまい。
この現象、ヘイト現象である。
”ヘイト”というもの、他人の痛みが解からないもの。
テロは許すことができない。それは、自明の理。
が、「私はシャルリ」、と言い切れるか。
難しい。その自信はない。
全世界の規範に逆らう。