旅、移動、車いす。

3時間足らずであるが、一昨日車いすに乗っていた。
一昨日、足のMRIを撮った。一昨日はMRIのみで、今日、医者から説明を受けることになっていた。しかし、MRIを撮った後、待合室で少し待っていてくださいと言う。
その内看護婦が来てこう言う。MRIの技師から足の骨に問題があると連絡があった。明後日に診察の予約は入っているが、今日午後、予約外で救急の先生の診断を受けてもらいたい。時間はかかるが、と言い、すぐに車いすを持ってきた。「これに乗って待っていてください」、と。
術後何日間かさまざまな管に繋がれていた手術を何度か受けたが、その時もキャリーで管を引っ張って歩いていた。車いすに乗るのは初めてであった。
左右のレバーを手前に引けばブレーキ。アクセルはないが、ブレーキのレバーを前へ倒し車輪の外側のホイールを使い前後へ進む。右折、左折も左右のホイール操作で超簡単。
整形外科病院の待合室、とても長い。診察室やレントゲン室、MRIの部屋などが1番から15番までL字形に続く前がすべて待合室である。端から端まで車いすで走ろうかな、と思ったがやめた。後期高齢者の、しかも骨がどうこうというジジイのすることではない、と幾ばくかの理性が働いた。トイレへ1回とコーヒーとお茶を買いに売店へ2回行ったが。まあ、車いすによる小さな旅。
長時間待った予約外の医者、若い医者であった。MRIの画像を見て、「ウン、ここがおかしいな」と言い、「今日、どうしてここに来ました?」、と訊く。「カミさんに車で送らせました」、と答える。「歩けますか?」、とも。「ハイ。脊柱管狭窄症なので足や腰が痛いのですが、ゆっくりと休み休み歩いてます」、と答える。その若い医者、「詳しくは明後日予約の入っている先生に聞いてください。まあ、静かにしていてください」、と言った。
今日、予約の医者の診察。
2週間前の骨密度の測定結果から骨粗鬆症と言われていたが、一昨日の足のMRIから、疲労骨折だと言う。骨がもろくなっているので疲労骨折を起こす、という。
2週間前は腰椎の圧迫骨折、今日は足の疲労骨折。今後もどうもヤバイ。
「注射をします。半年に一回の注射をします。今日から始めます。副作用の恐れもあるので、それに対する薬も出します。毎日、きちんと飲んでください。痛み止めの薬も」、と医者は言う。
半年に一度という注射、「プラリア」というものであった。しかし、この何でもないような少量の皮下注射、どうも何とも言えないウーンというものである。
実は一昨日、MRIを撮った後、夕刻からだが見に行こうと思っていた映画があった。MRIの後夕刻まで、どこかの喫茶店で読もうと思い一冊の本を持っていた。足の骨がおかしいので待っていてくれ、と言われた3時間弱の間車いすの上で読んでいた。
図書館から借り出し、それまでも読んでいたのだがなかなか捗らなかった。何というか取り留めもないといえば取りとめもない話が続いているんだ。
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オルガ・トカルチュク著、小椋彩訳『逃亡派』(白水社 2014年刊)。
ここ数年、ノーベル賞の頃になると、私は秘かに多和田洋子の文学賞受賞のニュースを心待ちにしている。今年、ポーランドの女流、オルガ・トカルチュクに先を越されてしまった。多和田とトカルチュク、同年代。旅というか場を移動するというところも何となく共通する。
『逃亡派』、400ページ強に116の旅のことごと、話が綴られている。
旅そのものというより、移動といったようなことが。
例えばこのような「きわめて長い十五分」というタイトルの<機内の八時四十五分から九時まで。一時間、あるいはそれ以上のように思われる。>、という短いたった1行のものから20ページばかりのものまで。旅、移動に関する話が編まれている。一見脈絡がないような物語が、平行して編み上げられている。解りやすい話もある。不思議な話もある。解りやすいが不思議な話もある。
例えば「ショパンの心臓」。
ショパンはパリで死んだ。<・・・。・・・。臨終に立ちあったのは、特に親しかった何人かの友、最後まで献身的に彼の面倒をみた姉のルドヴィカ、それに・・・>。
ショパンの葬儀はパリのマドレーヌ寺院で行われたが、死後それ以前に医学生の手によって心臓が切り取られていた。ショパンの姉・ルドヴィカはアルコールで満たした容器におさめられたショパンの心臓を故郷ポーランドの首都ワルシャワへ運ぶ。ワルシャワでも葬儀を行うために。馬車の旅である。
ライプツィヒ、ポズナニ公国の国境、プロイセンの国境を経てポーランド王国へ。旅、そして移動である。このような話が116続く。
視覚的な書でもある。
原書と同じく不思議な地図が11点載せられている。
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最初の図はこれ。
<主要な河川の比較図(年代記載なし)>というもの。
よく見ると、世界の河川の長いものから順番を追って描かれている。縦にひょろひょろと。
通常、世界の河川ランキングでは、1位はナイル川、次いでアマゾン、中国の長江、アメリカのミシシッピ、ロシアのオビ、エニセイ、・・・と続いていく。
が、『逃亡派』の図では、一番長いのはミシシッピで次いでアマゾン、エニセイ、長江、ナイル、オビ、・・・となっている。この違い、おそらく、源流をどこにするかってことであろう。さしたる問題ではない。それよりもこの上から下へのびる木の根のような造形、どう言えばいいんだろう。
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<ノヴァヤゼムリャ、ロシア(1855)>。
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こういうところも。
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書名にもなっている「逃亡派」という30数ページの物語がある。
訳者あとがきによれば、「逃亡派」とはロシア正教の旧教派の中のセクトのひとつだそうだ。主人公のひとりとも言えるアンヌシュカがモスクワの町を歩き回る。地下鉄に乗って。キエフスカヤ駅が何度も出てくる。
モスクワの地下鉄、懐かしい。一度だけだが乗ったことがある。地中深くエスカレーターでどんどんどんどん降りていく。地中宮殿のような立派なホームに降り立つ。駅というかホームというか、それ自体はニューヨークの地下鉄よりもパリのそれよりもロンドンのそれよりも厳か、威厳がある。もちろん東京や大阪のそれなんて足元にも及ばない。だからどうしたってこともあるが。考えてみるに、どうしてモスクワの地下鉄の駅はあれほど存在感があるのか、と。ちと大袈裟だよ、とも。
なお、上の図は、<ロシア地図(年代記載なし)>。「逃亡派」の記述中に挟まれている地図であるが、いつの頃の地図かは分からないが、ロシアの全図であるのであろうか。
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どういうことであろうか、11点の地図の中に<中国地図(1984)>と記された地図が2点も入っている。
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これも。
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「カイロス」の中のページに載っているが、その前の「夢のなかの円形劇場」に因む地図であろう。
ニューヨークである。
<・・・。・・・。生地の縦糸と横糸のように複雑な、垂直と平行の通りの茂みのなかで、モノクロの網の中心で、わたしは空に、大きなまるい目がこちらをじっとのぞいているのを見ている>。
タテヨコ十文字のニューヨークである。
それにしても『逃亡派』、不思議な書であったが面白かった。
多和田葉子が先を越されたのは「ウーン」であったが。
旅、そして移動。
次々と骨がおかしくなっていくオレはどうすりゃいいんだ。旅、移動ができなくなっていくじゃないか。
一昨日の予約外診療の若い医者は、「静かにしてください」と言っていたが、静かになんてそうはいかない。それまでもしばらく前、会期中に銀座での犬飼三千子の個展を観に行った。渋谷へ『アートのお値段』も見に行った。今時、上場企業のビジネスマンでもそんな恰好はしてないよ、というジェフ・クーンズを見に。先般のサザビーズだかクリスティーズだかのオークションでジェフ・クーンズの光る作品、現存作家としては初めて100億円で落札された。ジェフ・クーンズ、100人ばかりのアシスタント(従業員だ)を使い作品を作っている。ひと昔前の銀行員のような平凡極まりない装いで。
ぶっ飛ぶのは難しい。


何日か前、八千草薫が死んでいたことが報じられた。
美しい日本の女優であった。
きれいな女優、かっこいいなという女優は何人もいる。古くは久我美子、京マチ子、野添ひとみ、少し飛んで加賀まりこ、横山リエ、まだ好きな女優はいる。しかし、八千草薫はそれとは別の立ち位置であった。美しい女優であった。


昨日、緒方貞子が死したことが報じられた。
緒方貞子、国連難民高等弁務官として世界中の紛争地を飛び回っていた。アフリカ、旧ユーゴの紛争地に。
もう少し若ければ、国連事務総長にもと思っていたが、それは叶わなかった。しかし、緒方貞子は大きな足跡を残した。
中満泉を思う。中満泉、緒方貞子から薫陶を受け鍛えられた。中満泉のこれからを思う。それにしても緒方貞子、国連事務総長にしたかった。
昨日、上皇后・美智子さま、教会での葬儀の前に聖心女子大学の先輩であり親交のあった緒方貞子にお別れに訪れられた。石牟禮道子が死して以来である。
これでいい。