パリ+リスボン街歩き  (18) ポンピドゥー(続き×6)。

ジャコメッティにしろバルチュスにしろ、その作品は作品でさまざまな意味合いを持つ。その他の人たちのものも。それと共に、美術館という空間、作品を見る人が加わることによって、また新しい状況空間を生み出す。特にポンピドゥーのような場に於いては。
作家の作品と、観客の姿によるコラボレーション、ということができる。
幾つか、作品プラス見る人のコラボで、ポンピドゥーを打ちあげることとする。

多くの人が参加することにより、新しい作品が生まれる。
2次元の平面が、3次元の立体空間となり、劇場空間となる。

黒っぽいお揃いの服を着ている親子、ポンピドゥーの空間に同化している。まさに作品のよう。”よう”というより、ホントに誰かの作品だったかもしれない。

この人たちは、明らかに観客、見る人。
なお、前の写真の黒っぽいお揃いの服を着ている親子、作品ではありません。見に来ている人です。念のため。

正しい観賞法をしている人。
上品で洗練されている。”どこが”って、と言われても、どことなくです。この色調から見ても、それは言える、な。

この女性は、完全に作品に溶けこんでいる。この女性が加わることによって、一つの作品が完成された。コラボなんてものではない。これは、完全なインスタレーションである。

白地のバックに大きな作品が掛かっている。
右下の紙片を見れば、サイ・トゥオンブリーの作品である。サイ・トゥオンブリー、この春先、佐倉の川村記念美術館での特別展「抽象と形態 何処までも顕れないもの」で観た。昨年死んだが、不思議な作家である。
左の方に、係員らしき人がイスに座っている。トゥオンブリーのこと、その人に少し聞いてみよう、と思い声をかけた。と、返ってきた応えは、「私は美術館の人間ではない。訪問者だ。ただ、疲れたから座っているだけ」、というもの。それにしては長い間座っていたが、そうなのであろう。後で見た時は、また別の人が座っていた。
それはともかく、サイ・トゥオンブリーの大きな作品の端の方に、人が一人ポツンと座っている、という構図、単純ではあるが、巧まずしてのインスタレーション、とは言えないか。

作家の作品と観客、これで終わる。小さな女の子が模写をしていたんだ。
近寄って行くと、ロベール・ドローネーの作品の前に座りこんでいる。

小さな紙に模写をしている。色エンピツのようなもので。

この女の子、ロベール・ドローネーが、1912年から13年にかけて描いた「丸い形 太陽no.2」を見あげ、模写をしている。
ドローネーの作品、100年前の抽象絵画だ。とても不思議な感を抱いた。
しかし、それと共に、フランスという国の底の深さも感じた。小さな女の子がドローネーの抽象画を模写してるんだもの。