バルチュス展。

20世紀最後の巨匠と言われるバルチュスが死んで10年以上となる。正確に言えば、13年半が経つ。

ふた月少し前の東京都美術館。
没後初の大回顧展。国内最大規模、とも。確かにそうである。私が知る限り画期的なバルチュス展である。
20年ぐらい前であろうか、古い東京ステーションギャラリーでバルチュス展が催された。バルチュスを纏まって観るのは、その時が初めてであった。バルチュスだって興奮した憶えがある。しかし、それがどのようなもので構成されていたのか、今、思い出さない。記憶の彼方。

東京都美術館館内の看板。
バルチュス自らを描いている絵のタイトルは、≪猫たちの王≫。1935年の作品。
猫、その後もバルチュスの作品には多く登場する。バルチュスと猫、切り離せない。

バルチュス、2001年2月に死んだ。『芸術新潮』は、その年の6月号で追悼特集を組んだ。
その中のバルチュス13歳の時のドローイングを複写する。
バルチュスの愛猫「ミツ」のお話なんだ。
それが出版される。わずか13歳の少年のドローイングが。何と、あのリルケが序文を書いて。
何故か。
バルチュス、元はと言えばポーランド貴族の末裔である。そんじょそこらの輩とは、生まれ素性が違う。父親は美術史家、母親は画家。そうであるからかどうか、両親は別れる。母親は凄い男を愛人とする。詩人リルケである。
右下の写真、右側の母親と左側のリルケに挟まれているのが、13歳のバルチュス。

バルチュスをひと括りにすると、こうなるのかな。
昔の東京ステーションギャラリーでのバルチュス展の何年か後、15年ぐらい前であろうか、出光美術館でとても面白い特別展が催された。「アンドレ・マルローとフランス画壇の12人の巨匠たち展」、といった。
いわば、アンドレ・マルローが選んだ20世紀フランス画壇の巨匠12人、といったものである。
ピカソ、ブラック、ルオー、シャガール、ダリ、ル・コルビュジェ、フォートリエ、デュビュフェあたりも入っていたかもしれない。最後に登場は、バルチュスであった。
20世紀の絵画、キューブ、シュール、アンフォルメル、ポップ、・・・・・、と流れてきた。その底流には、具象からは離れている、ということがある。しかし、バルチュスは、終始一貫、具象。
バルチュスを”20世紀最後の巨匠”と言ったのは、ピカソだと言う。
ピカソ、具象を貫いたバルチュスにただならぬものを感じたのじゃなかろうか。
この後、チラシを複写する。

≪夢見るテレーズ≫(部分)。1938年。油彩、カンヴァス。
バルチュスだ。
バルチュスだなー。
バルチュスである。

≪おやつの時間≫。1940年。油彩、カンヴァス。

≪美しい日々≫。1944〜46年。油彩、カンヴァス。

≪地中海の猫≫。1949年。油彩、カンヴァス。

≪決して来ない時≫。1949年。油彩、カンヴァス。

≪キャシーの化粧≫。1933年。油彩、カンヴァス。
やはり同時期に描かれた≪鏡の中のアリス≫も展示されている。
いずれも、パリ・ポンピドゥー・センターから持ってきたもの。
今、ポンピドゥー・センターへ行っている人たち、バルチュスの≪キャシーの化粧≫も≪鏡の中のアリス≫も展示されてなく、”ウーン、何て間が悪い”、と思っていることであろう。
バルチュスに関し、もう少し何かをというお方は、2年前のブログ「パリ+リスボン街歩き」ポンピドゥーのところをクリックしてください。

≪白い部屋着の少女≫。1955年。油彩、カンヴァス。

≪トランプ遊びをする人々≫。1966〜1973年。カゼイン、油彩、テンペラ、カンヴァス。

バルチュスと節子夫人。
それにしてもバルチュス、少女を描き続けている。
少女に美の極致、美の極北を見出していたのじゃないか。
1962年、当時20歳の日本の少女、上智の学生であった節子さんに会った時、これぞ美の極致、との思いがあったのであろう。
晩年住まいしたスイス、ロシニエールの巨大な木造建築・グラン・シャレのアトリエも再現されている。江國香織が、おずおずとインタヴューしている映像が流れる。
勝新・勝新太郎がバルチュスに贈った着物もある。
勝新太郎と中村玉緒、ロシニエールのグラン・シャレにバルチュスを訪ねている。勝新、バルチュスの前で座頭市の殺陣を披露したようだ。面白い。
音声ガイドには、節子夫人も登場する。趣きがあった。
バルチュス、確かに20世紀最後の巨匠。
東京展は終り、今、京都市美術館に巡回している。9月7日までである。バルチュスを見ずして、というもの。是非お出かけください。20世紀の息吹きを感じる。