パリ+リスボン街歩き  (17) ポンピドゥー(続き×5)。

絵の好きな人に、「好きな絵描きは誰ですか?」、と尋ねたとする。
「モネが好きです」とか、「ルノアールもいいし、若い頃からゴッホが好きでした」とか、「印象派の好きな人が多いのでしょうが、私は、ピカソやブラック、立体派が好きですネ」と言う人もいれば、「立体派も印象派も別にキライではないが、アメリカのポップアート、中でもウォーホルが好きです」、という人もいるだろう。
いずれの人にも、「ああ、そうですね。いいですね」、という返事を返す。皆さまの好み、とてもオーソドックス、何の問題もない。中には、サルヴァドール・ダリが好きだとか、マーク・ロスコが好きだとか、ジャクソン・ポロックが好きだとか、という人もいるだろう。しかし、これらの人たちも問題はない。その嗜好、健全である。
だが、「私が好きなのは、バルチュスです」、という人も中にはいる。
このような人、異常とは言わないまでも、どこかが少しどうにかなっていることは確かである。実は、私も、バルチュスには強く惹かれているひとり。少なくとも20世紀の絵描きで、バルチュスだけが、どこか変わっている。
バルチュス、何か違う。

ポンピドゥーのバルチュス。
バルチュスに行き会うと、”オッ”という感じに打たれる。バルチュスだ、と反射的に身構える。
バルチュス、本名は、バルタザール・クロノフスキー・ド・ローラ、1908年、パリに生まれ、2001年スイスで死ぬ。元はと言えばポーランド貴族の末裔。1962年、上智の仏文の学生であった20歳の節子さんと出会い、結婚する。節子さんも絵を描く人である。バルチュスが死ぬまで、ずっと着物を着ていた。着物は、バルチュス自身もよく着ている。
それよりも、バルチュスの描く絵、ずっと具象。その主たるテーマは、少女。でも不思議、ただ者ではない。20世紀最後の巨匠と言われる。

「鏡の中のアリス」。
カンヴァスに油彩。1933年の作。
写真では不鮮明であるが、実は、モデルの少女の性器があからさまに描かれている。バルチュスが描く作品の特徴のひとつ。

こちらは、「キャシーの化粧」。やはり、カンヴァスに油彩、1933年の作。

この2点の作品、1934年にパリのピエール画廊で開かれた、バルチュスの最初の個展の出品作である。
バルチュスの初の個展、出品作は7点であったそうだ。内2点は肖像画。残りの5点の油彩の大作が話題を呼んだ。
「鏡の中のアリス」、「キャシーの化粧」の2点の他は、「街路」、「窓」、そして、「ギターのレッスン」の5点。「街路」も何とも言えない不思議な絵であるが、それよりも、「ギターのレッスン」が、何と言ったらいいのであろうか、というもの。
バルチュス自身が、その後、自ら封印しようとした作品である。1934年の個展の時と、1977年のニューヨークでの展覧会以外は公の公開はされていない、というものである。その描かれた様のあまりにも、という理由で。
ギター教師とおぼしき年配の女性がいる。彼女は少女の身体を抱きかかえている。その少女、上半身は衣服を着けているが、下半身は剥きだしである。 ギター教師の指はその・・・、という場面が描かれている。
エロティック、という言葉で括っていいのか。そういう思いに囚われる。

バルチュス、2001年に死んだ。20世紀最後の巨匠として。その数か月後、「芸術新潮」は、バルチュスの特集号を組んだ。
その中に、スペインのジャーナリストが2000年に上梓した『バルチュス』という書の、AからZまでの語録が掲載されている。その中から、幾つか引く。
バルチュス、こう言っていたそうだ。
<わたしは「芸術家」という言葉が嫌いだ。・・・・・以前ピカソが「わたしは芸術画家ではない」という言い方をしていたけれど、わたしなら、自分のことは、「職人です」と言いたい>、と。
<少女とは生成の受肉化である。これから・・・・・、要するに少女はこのうえなく完璧な美の象徴なのだ>、と述べる。
バルチュス、シャガールやルオーなどにも「何だ、あれは」という意思表示をする。嫌っていた。実は、バルチュスが最も心を寄せていたのは、昨日触れたアルベルト・ジャコメッティである。
<ジャコメッティを最初に連れてきたのは、アンドレ・ブルトンだが、ジャコメッティとは友人以上の付き合いになった>、とバルチュスは書く。それと共に、こういう記述がある。ピカソとの関係だ。
実は、個展を開いて早い時期に、ピカソがバルチュスの作品を買ってくれたそうである。ピカソとは、よく絵画論を闘わせた、とも言っている。
20世紀の巨人、ピカソ、自ら20世紀を変えたとの思いはあったであろうが、その思いの中に、何か引っかかるものもあったであろう。そのひとつは、バルチュス。
不思議な存在である。