パリ+リスボン街歩き(7) ルーヴル(続き 謎の美女)。

ルーヴルには、一ルーヴルのと言うより、世界のと言うべき至宝がゴロゴロしている。が、中で世界中の誰でもが知っているただ一つとなると、これであろう。「ラ・ジョコンダ、モナ・リザ」である。
これだけは、特別である。一美術作品という存在を超えたもの。

ルーヴルでは、こういう表示は稀である。
この表示、ドゥノン翼の日本風に言えば2階、「サモトラケのニケ」の階段を上がったすぐ近くにある。「ラ・ジョコンダ、モナ・リザ」は、こっちの方へ行ってください、というもの。salle6、グランドギャラリーにつながる第6室だ。
ルーヴルへ来て、これを見ないで帰る人はまずいない。中には、オレはとても忙しいんだ、と言って、これだけを見て帰る人もいるかもしれないくらい。

第6室に入ると、先の方に人が群がっている。

少しずつ進んで行くと、彼女がいる。ずっと謎の微笑を湛えた。

パリが好きで、外国の町では最も多く行った。ルーヴルを訪れるのも十数回になる。
しかし、いつもルーヴルのごく一部しか見ていない。恐らく、百分の一も見ていないだろう。でも、この謎の微笑を湛えた女性には、毎回会いに来ている。彼女が展示されている所は、何回も変わったが。今は、グランドギャラリーから入ったこの部屋。
しかし、ここだけはルーヴルの中でも特別だ。
ルーヴルには、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は何点もある。
「岩窟の聖母」、「聖アンナと聖母子」もあれば、「ラ・ジョコンダ、モナ・リザ」と同じく女性を描いたものとしては、「ラ・ベル・フェロニエールの肖像」と言われる作品もある。

これである。
この作品の前には、さほどの人だかりはしていない。だから、人の頭や手に邪魔されずに、作品そのものを撮ることができる。
「ラ・ジョコンダ」が描かれる10年ほど前、1490年から1495年の間に描かれたものである。

でも、やはりあの謎の微笑の女性。
人々の頭や手が邪魔であるが、それはお互いさまというところ。

皆さん、手を出している。

その間を縫ってもこの程度。
今回の「ラ・ジョコンダ、モナ・リザ」、これでよしとする。

作品の人だかりの横の方から撮った。皆さん、群れているのがよく解かる。なお、右端の胸に名札を付けているのは、ルーヴルの係り員。

部屋を出る前に、少し離れた所から撮った。
「ラ・ジョコンダ、モナ・リザ」の両側に、赤い標識のようなものが付いている。

こういうものなんだ。
「掏摸がいますから、気をつけてください」、という注意書。皆さん、首と手を伸ばすことに気を取られているので。
注意書、仏、英、西、伊、和、独、中、日、韓、露、の10か国語で書いてある。今、ルーヴルに来る人たちの多くは、この10か国語を話す人たちで占められているのだろう。ここに、インドネシア語やベトナム語の表記が加わるのはいつ頃だろうか、なんて余計なことを考える。

ついでと言っては悪いが、ルーヴルのもう一人の美女を載せておこう。
「ミロのヴィーナス」である。
レオナルド・ダ・ヴィンチの謎の微笑の美女には、毎回会いに来るが、この紀元前100年頃に創られた大理石の美女には、私は、たまにしか会いに来ない。何回に一回、という程度。しかし、一般には、やはり人気がある。

フランスという国、芸術には素早い国である。
「ミロのヴィーナス」、1820年、メロス島で偶然に発掘された。フランス大使、リヴィエール侯爵がコンスタンチノープルでこれを手に入れ、ルイ18世に贈った。王はこれを、1821年には、ルーヴルに所蔵させた。
この美女も、今、ルーヴルの至宝。
国家権力が美に絡む、ということに於いて、フランスという国、生半なものではない。