パリ+リスボン街歩き(6) ルーヴル。

世界には大きな美術館や博物館が幾つもあるが、私の知る限り、最も規模が大きなものはルーヴルである。
メトロポリタンも大英博物館もエルミタージュも大きい。しかし、ルーヴルの規模には敵わない。ウィーンの美術史美術館やヴァチカン美術館、マドリッドのプラド美術館も素晴らしいが、ルーヴルに較べれば、”次に控えしは”、ということになろう。唯一、北京の故宮博物院が規模という点では思い浮かぶが、美術館、博物館という意味合いでは、少しニュアンスを異にする。
ルーヴル、メトロのパレ・ロワイヤル=ミュゼ・ドゥ・ルーヴルで下りる。

駅を出たら、すぐルーヴル。

ルーヴルは向こう。

ルーヴルのリシュリュー翼の下を通り中央入口へ。

ピラミッドの中央入口へ出る。

少し上から見たピラミッド。
ルーヴル、中世には城塞であった。それが、後に宮殿となった。美術館らしきものができたのは、1793年だそうだ。1798年にはナポレオン美術館が開館している。
ガラスのピラミッドを出現させた今のルーヴルの姿を創ったのは、フランソワ・ミッテランだ。社会党の大統領で、小柄な男であったが、存在感に溢れた男であった。ある時、隠し子の存在を問われ、「それが、何か」、とこともなげに応えていた。質問をした記者、二の句が告げなかった。ガラスのピラミッド、ミッテランであったからこそできた、とも言える。
1981年、フランソワ・ミッテラン、大ルーヴル計画を打ち出す。
1983年、中国系アメリカ人建築家・イオ・ミン・ペイに大ルーヴル計画の設計を委ねる。
1998年、ガラスのピラミッド落成する。


ガラスのピラミッドのメインエントランスには、長い行列がつながっている。入場券を買う人たちの列である。私たちは、ミュゼアム・パスを持っているから、待つ必要はない。
ルーヴル、大きく、シュリー翼、リシュリュー翼、ドゥノン翼と分けられるが、ここに写っているのは、ドゥノン翼。

左はドゥノン翼、右はリシュリュー翼の建物。
なお、ピラミッドの頂の向こう、ずっと延長した所はシャンゼリゼ。先の方には、薄くではあるが凱旋門が見える。パリの町、小ぶりである。

ドゥノン翼からの眺め。ガラスのピラミッドは右の方。その右手の方にシュリー翼がある。見えている正面はリシュリュー翼である。


ピラミッドの下。メインエントランスであるピラミッドの入口から入ると、ここに出る。ピラミッドの下、案外広い。

ルーヴル、グランドギャラリー。

グランドギャラリー、どこまでも続く。

ルーヴルの中、フラッシュは許されていないが、そうでなければ撮影は自由である。
あと、手を叩いたり大声で話したりするのも禁止。

イタリア・ルネッサンスの作品の前でポーズをとっているのは、小学校高学年の女の子。11〜2歳であろう。5〜6年後には、洒落たパリジェンヌとなっているであろう。

アングルの「トルコ風呂」、どこの国でも教科書に載っているものと思われる。皆さん、デジカメで撮っている。

このボクは、少し疲れたようだ。