レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮。

東京が2度目のオリンピックをするのなら、大阪も2度目の万博をやろう、と2025年の万博に大阪は手をあげているようだ。
ところで2015年の万博はミラノで行われているが、それに合わせてミラノでは「レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452−1519」特別展が催されたそうだ。再来年の2019年がレオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年となる故に。
そのミラノでのレオナルド特別展に運ばれるため、ルーヴル美術館の展示室の壁から外されるレオナルドの≪ラ・ベル・フェロニエール(ミラノの貴婦人の肖像)≫。実写と劇中劇ないまぜに、才能を磨き開花させたフィレンツェ、そしてミラノへと映画は進む。

イタリア、トスカーナ地方のヴィンチ村に生まれたレオナルド、14歳でフィレンツェのヴェロッキオの公房へ弟子入りする。史上最高の画家となる第一歩。
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』、監督:ルカ・ルチーニ、ニコ・マサスピーナ。さまざまな専門家が語るドキュメンタリー、15世紀ルネサンス期の復元劇、そしてレオナルド作品を4Kの映像で見せてくれる。盛りだくさん。

歴史上最高の絵描きはレオナルド・ダ・ヴィンチである、と思わない者がもしいるとすればその人のヘソは大変貴重なもの、天然記念物となることができる。
「美と知の迷宮」とある。何故か。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、絵描きであると共に科学者、哲学者でもあったからであろう。発明家でもあった。マルチな天才であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、実は真筆と言われる作品は少ない。スケッチや画稿は多くあるのであるが。おそらく完全主義者であったのだ、と思う。
パリ、ルーヴルには世界中で最も知られている絵画であろう≪モナリザ≫はじめ≪洗礼者ヨハネ≫、≪聖アンナと聖母子≫、≪岩窟の聖母≫(同様の作品、ロンドンのナショナルギャラリーにもある)、それに冒頭ミラノ万博時の特別展のため運び出された≪ラ・ベル・フェロニエール(ミラノの貴婦人の肖像)≫がある。
やはり、レオナルド・ダ・ヴィンチは別格。

≪白貂を抱く貴婦人≫。
美しい作品である。ポーランド、クラクフの美術館が所蔵している。

≪最後の晩餐≫である。
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院の食堂に描かれた壁画である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、円熟期をミラノで過した。
その当時、ミラノを統治していたのはルドヴィコ・スフォルツァ。浅黒い顔貌からイル・モーロ(ムーア人)と呼ばれていたそうだ。イル・モーロ、レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとなり、レオナルドにこう命じる。
「サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院の食堂の壁に壁画を描け」、と。(イル・モーロがレオナルドに本当にこう言ったかどうかは知りませんよ。あくまで私の推測ですから)
レオナルド・ダ・ヴィンチ、1495年〜1498年の3年をかけて≪最後の晩餐≫を完成させる。テンペラ画である。
私は、1993年にミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院へ行っている。そこで≪最後の晩餐≫を観た。
ずっとそう思っていた。しかし、今、調べてみると、≪最後の晩餐≫は1977年から1999年にかけて修復期間となっている。20年以上にわたり。私が訪れた1993年は修復中となる。
では、私が観たとずっと思っていた「最後の晩餐」はなんなんだったのか。
修復中の情景を見たのか。いや、そんなことはあり得ないであろう。じゃあ何なんだ。
サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院の中には入った。が、そこで見たものは、ひょっとしたら複製画、レプリカであったのか。本作に出てくる≪最後の晩餐≫の色調よりはるかに暗い沈んだ色調であった、という覚えがあるのであるが。