パリ+リスボン街歩き(5) サンジェルマン・デ・プレ。

オルセーを出た後、Aが行きたい所がある、と言う。直接には知らない人だが、知り合いの知り合いが画廊をやっている、と言う。住所は解かるか、と聞くと解かるとのこと。パリでは、住所さえ解かれば、どんな所でも行くことができる。
私は、小さくて薄いものだが、ミシュランの青い地図を持っている。通りの索引から見ると、パリ市内のどんな所でもよく解かる。Aの知り合いの知り合いがやっているギャラリー、オルセーからさほど離れていない所にあった。

Aの知り合いの知り合いの人がやっているギャラリー、すぐに見つかった。しかし、閉まっていた。
何と、ギャラリーの名、「真珠の夢」という。さらに、ご本人・ユミ・カメヤマさんご自身の作品がウインドウに展示されていた。一面、赤い作品。
ユミ・カメヤマさん、私たちと同じような年代の人らしい。しかし、小さいながらパリの中心部にギャラリーを持ち、しかも、自らの作品を展示している。お会いすることができず残念であったが、ユミ・カメヤマさん、たった一度の”私の人生”を、パリで生きている人であろう。日本人に限らず、パリにはこのような人多くいる。

この通り、小さな画廊などがポツポツとある。

右に折れ左に折れしている内に、このような通りとなる。


行き交う人も多くなる。

その内に、サンジェルマン大通りへ出た。

これは、通りの反対側。左の方へずっと行くとサン・ミッシェル大通りへぶつかる。

もう、サンジェルマン・デ・プレなんだ。左は教会だ。

サンジェルマン・デ・プレ教会、ロマネスク様式の教会。着工は1164年。

サンジェルマン・デ・プレ教会の正面。
四角形のどっしりとした鐘楼は、11世紀初期に作られた。

サンジェルマン・デ・プレ教会の内部。
正門から祭壇までの中央の空間を”ネフ”というそうだ。

内陣のとっかかりの所であったであろうか。

これの下の方を見ていただきたい。
小さいが、こちらでは、司祭に話を聞いてもらっている人が写っている。何を話しているのか、懺悔というのとは、また違うようだ。

蝋燭の灯かりが灯る。

教会の出口にこのようなものがあった。
ささやかな献金はしたが、ここに謳われているような献金はしていない。その起源は543年まで遡るというサンジェルマン・デ・プレ教会、その修復には日本人の献金も大分組みこまれているようだ。

サンジェルマン・デ・プレ教会の前を渡った所には、カフェ・ド・フロール。
サンジェルマン・デ・プレが、サルトルやボーヴォワールと結びついている連中には、たとえ行ったことがない連中にとっても聖地。

そして、あと一軒、カフェ・ドゥ・マゴがある。
今でも皆さん、一杯のカフェを飲んでいる。