パリ+リスボン街歩き  (30) セーヌ。

川のない町など考えられないが、特にパリはそう。どこもかしこも、セーヌの岸からどう。
運搬手段が河川に大きく依存していた頃ならいざ知らず、今では、もちろんそうではないが、気分としてはそうである。
だから、かどうか、セーヌ河岸、ユネスコの世界遺産である。エッフェル塔も、オルセーも、ルーヴルも、シテ島も、サン・ルイ島も、もちろんノートル・ダムも。セーヌの両岸、世界遺産。
両岸、どの範囲までかは知らないが、ひょっとすれば、サンジェルマン・デ・プレやサン・ミッシェルあたりも含まれているのかもしれない。
そのセーヌの姿を。

セーヌの水面を遊覧船が通る。
後ろに見える穏やかな橋は、コンコルド橋。フランス革命の前年、1788年に着工され、フランスの数々の革命を見てきた橋。姿、形は穏やかでも、内部は燃えている橋である。

そのコンコルド橋、こちらの橋から撮った。
欄干に、やけにハデな装飾があるこの橋、アレクサンドル三世橋。ロシア皇帝からフランスへの贈り物だそうだ。
ロシア皇帝と言ったってプーチンではない。帝政ロシアの皇帝です。この橋、1900年に造られたと言うから、ロシア革命で殺されたあのニコライ二世となる。
セーヌにかかる橋で最も美しい、と言われているらしいが、私はそうは思わない。ハデすぎ。趣味がよくない。
忘れるところであったが、後ろにエッフェル塔が見える。

セーヌには、このような船が多く浮かんでいる。
左の白い船にはドン・ファンと書いてある。右の船にはベガと。皆さん、洒落た名前をつけている。

セーヌの水上生活者、平底船に住まいしているので、その名を取り、ペニッシュ族と呼ばれているそうだ。
セーヌの水上生活者、途上国の水上生活者とはまったく異なる。電気その他、近代生活を送るのに何の不便もないようだ。植木を育てている人も多い。

船は、案外大きい。だから、よく見ると、いろんなものが積まれている。

右岸からオルセーへ渡るこの橋、面白い形をしている。
両岸の道からも、川の両岸からも渡ることができる。ある部分、二重になっている。床は、木が張られている。サンゴール歩道橋である。何年か前、その名に改められた、という。
レオポール・サンゴール、セネガルの初代大統領にして詩人。アフリカ人として、初めてアカデミー・フランセーズの会員に選ばれた男の名を冠した。

その橋の欄干の金網は、こうなっている。
多くの南京錠が金網につけられている。こういうもの、洋の東西を問わず同じだな。「薬問屋のあの人に〜、どうぞ添わせ〜て〜・・・・・」、と願掛けをする船場のイトはんと同じである。上の方には、キスマークのみ、というものもある。この女の子、クダクダ言わず、気合いが入っている。
この鍵、ラヴ・ロックというらしい。少し先で売っていた。二人も。3ユーロと書いてあった。セーヌ、このような役割りも果たしている。

川岸に、こういう看板が立っている。
「パリ歩きの良いプランは、セーヌ河岸を歩くこと」、とでもいうことであろう。
下の赤丸の中の数字は、①はオランジュリーの近くのチュイルリー河岸、②はシャルル・ド・ゴール橋、③はエッフェル塔近くのブランリー河岸、④はオルセー近くのアナトール・フランス河岸、となっている。

セーヌ河岸を、どんどん歩いてくる。オルセーもすぎ、ルーヴルもすぎ、シテ島のノートル・ダムもすぎて。
シテ島からサン・ルイ島へ渡り、右岸へ渡るルイ・フィリップ橋から下流の方を見る。前方の橋は、シテ島と右岸の間にかかるアルコル橋。

シテ島の端の方にこういう所がある。遊覧船も走っているが、左の方には、こういう所が。

セーヌへの傾斜となっている。どうしてなのかは知らないが、何らかの理由はあるのであろう。それより、男がいて、その周りには多くのハトがいる。これも、セーヌなんだな。

ルイ・フィリップ橋から右岸へ渡り、セーヌ越しに、シテ島の方を見る。
正面にノートル・ダムが見える。左の手前に見えるのは、サン・ルイ島の端。
セーヌ、多くの顔を持つ。