パリ+リスボン街歩き(4) オルセーの窓。

日本の美術館では、館内の撮影を許している所はとても少ない。しかし、フランスに限らず、ヨーロッパの美術館や博物館、フラッシュの使用は禁じているが、そうでなければ館内自由に撮影できるところが多い。
オルセーも以前はそうであったが、今は撮影禁止となっていた。どうしてなのか。少し前、壁紙など内部の改修を行なったそうなので、それから派生した何らかのことが原因、となっているのかもしれない。仕方ない。
エレベーターで上がった最上階のバルコンからは皆さん撮影している。ここまで来れば、個々の作品は映らないのだから、まあいいか、と言ったところ。私も1枚カチッ。

オルセー、鉄道の駅を美術館に改装したことはよく知られていること。
大きな駅をそっくりそのまま利用した。地上階、中階、最上階、そのそれぞれに多くの展示室が作られている。部屋の数は、7〜80室となる。
パリには滅多やたらに美術館があるが、ごく大まかに言って、古くから19世紀半ばまでのものを収蔵するのがルーヴル。その19世紀半ば以降20世紀初頭までのものを収蔵するのがオルセー、そして、それ以降の作品を収蔵するのがポンピドゥー、ということになる。
実は、オルセーの担っている年代、より正確に言えば、1848年から1914年の間の美術作品なんだ。どうでもいいようなことだが、フランスという国にとっては、ここが大切、とも言える。
フランスは革命の好きな国である。フランス革命は1789年。これは誰でも知っている。バスティーユの襲撃だ。1848年は、ヨーロッパではあちこちで革命が勃発した年だ。フランスでは2月革命だ。なお、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を発表したのもこの年。ブルジョア革命ではなく、持たざる者の革命という色合いが少しずつ出てきた頃だ。
日本の革命、明治維新にはまだ日がある頃である。しかし、ヨーロッパは、なかんずくフランスは動いていた。1848年の革命だ。
いい年をして、と言うか70もとうに超えていながら、どういうワケか、革命という言葉を見たり聞いたりすると、私は興奮する。興奮のあまり、急に心臓が停止することもあるかもしれない、とも思っている。ま、その時はその時、とも考えているが。それはいいが、ブログ、脱線しないようにしないといけない。
何のことだったのかな、この話。そうだ、オルセーは1848年以降1914年までの美術作品を収蔵している、ということであった。
1848年は、パリ2月革命の年。そして、1914年は、第一次世界大戦の勃発年なんだ。つまり、オルセー、その間の美術作品を展示している。
主となっているのは、世界中、大方の美術愛好家が大好きである印象派の作家たちの作品である。
日本ばかりでなく、欧米のこれはという美術館には幾らかは行っているが、世界中どこの人もその多くの人が好きなのは、印象派の作家である。不思議なことに、これはそう。
オルセーでも人気である。セザンヌにしろ、モネにしろ、ルノアールにしろ、ゴッホにしろ。私は、ここではゴーギャンの木彫に彩色した作品に惹かれる。


正面の大きな時計。
鉄道の駅には時計がつきもの。オルセーにも幾つもの時計や時計の跡がある。

作品の写真は撮ることができない。
で、最上階の時計の跡から外を見る。

セーヌを挟んだ対岸が見える。

窓からオルセーの屋根を見る。
屋根の上には、幾つもの彫刻がある。その下の方にはセーヌが流れる。

中間の階だったか、食堂に入り遅い昼食を食べる。飲み物はハイネケン。

食堂の窓側には、時計の跡が。
この時計は、セーヌから見て、右側の時計にあたるのであろう。

こちらの食堂のガラス扉の外には、やはり屋根に乗った彫像が。

オルセーでは、常設展ばかりじゃなく、特別展も行なっている。今、7月1日までは、「ドガとヌード」というタイトルの特別展が開かれている。このポスターは、パリの町中あちこちに貼られているが、この写真は、地下鉄の駅に貼ってあったもの。
”踊り子”のドガ、実に多くのデッサン、習作を残している。多くの立体作品も作っている。さらに、ルノワール、ロートレック、ゴーギャン、ピカソ、マチスといった作家の描くヌードと、ドガのヌードとを較べる、といった展示まで。力の入った構成であった。
オルセーだ。