一年。

1年となる。1年が経った。1年が過ぎた。
”もう”か、”はや”か。しかし、現実は、”まだ”であろう。

政府主催の「東日本大震災一周年追悼式」、国立劇場で行なわれた。
天皇、皇后両陛下、出席される。
2時46分、黙祷。

天皇の「おことば」、お心のこもったものであった。

冠動脈バイパス手術を受けられて間もない天皇、”この追悼式に出ずして何とする”、との強いお気持ちをお持ちであった。それを果たされた。
大震災、日本国の問題である。
その対処、政府の問題である。内閣総理大臣の肩にかかる。閣僚にもかかる。自治体の長にも。それと共に、国民すべてにかかっている。私たちずべての国民に、それに対処すべき責任がある。義務がある、と言ってもよかろう。
天皇は、国民すべての象徴。おそらく、国民すべてを押しのべる義務を持つ、とお考えになっておられるのではなかろうか。

天皇、思っていたよりもお元気なご様子に見受けられた。むしろ、優美であるが故に繊細な皇后さまのお身体が、と思う。黒い和服を召されているので、余計にそういう思いを抱く。

NHK、この後も、それぞれが迎えた震災1年の映像を伝えた。
陸前高田でも、海の見える高台で献花する人たちの映像が流された。

今日、NHKで流された陸前高田の一本松。あの奇跡の一本松だ。
この映像では、とても元気そうに見える。塩害でその内に枯れてしまうなんて、とても思えない。しかし、その内枯れてしまう一本松だ。

一本松は、その内枯れるが、その子孫を接ぎ木で残す試みが進んでいる。

接ぎ木された枝、成長している。
7万本の松が生えていた陸前高田の高田松原、1年前、ただ1本を残し消滅した。その1本も、間もなく消える。しかし、接ぎ木により、そのDNAは受け継がれる。いいね。嬉しい。
おそらく、50年か100年後、陸前高田の海岸には、7万本の松原が連なっていることだろう。
1年なんて、さしたる時間ではない。