岩手あちこち(15) 大船渡(続き)。

大船渡港は、すぐ先、目の前。

岸壁に出てみる。大船渡の港、穏やかに広がっている。
岸壁のコンクリートは、あちこち亀裂が走る。亀裂というより割れている。土が出ている所では、足がヌッと下へ入る。液状化の最たるものであろう。

岸壁へ上がる階段の手すりもこのような状態。
津波の力、引いていく時の方が強い、という。そうなんだろう。こういうものを見ていると。

港には、船が入っている。
空は、鈍色で重い。風の音はないが、冷たい。しかし、この場で使う言葉としては憚られるが、とても美しい。

向こうに見えるのは、ガレキの連なり。
     霧のなかからにはかにあかく燃えたのは
     しゆつと擦られたマッチだけれども
     ・・・・・・・・・・
     よほど酸素が多いのだ
     ・・・・・・・・・・
     まことにつつましく見える
宮沢賢治 「霧とマッチ」から何行か。

岸壁に小さな船が固定されていた。
流されたにしては、さほどの傷みは見られない。おそらく、意図して設置したものに違いない、と思われるのだが。

ここにも。

この塊りは、何だろう。向こうに見えるのはガレキだが。港の中、走っているのはトラックばかり。

カモメは、港にゃ付きものだ。大船渡でもあちこちに。

岸壁のすぐ横には、このような建物が。
その時、人はいたのか、と思う。

人の姿を見ないこともあろう、大船渡港、とても静か。時折りトラックが通るのみ。
岸壁を下り、駅の方へ戻る。

被災地どこも同じだが重機が並ぶ。
電線の工事をしているような所が何か所かあった。電気か電話の工事だな、と思い下にいる人に聞いた。そうではなかった。信号機の工事だと言う。そうか、まずは信号なのか、インフラは。知らなかった。

駅へ戻る途中は、やはりこう。間もなく1年になるというのに。

言葉がない。
駅の跡地へ戻り、タクシー会社へ電話した。「ここへ電話を」、という来た時にもらった領収書に書いてある番号に。だが、繋がらない。市外局番が、そこにはない。だから、携帯では繋がらない。困った。周りには、誰もいない。この日に限ってのことかどうか、私のような酔狂なヤツは、誰も来る気配がない。
しかし、ものごとは、どんなことでも何とかなるものだ。信号機の工事をしている人がいる。現地の人だ。大船渡の市外局番は解かるだろう。工事の所へ行って聞いた。教えてくれた。寒かったので助かった。
タクシーが来るまで、暫らくの間、大船渡駅があった場所にたたずんでいた。
実は、すっかり流された大船渡駅、その跡地にひとつだけ残っているものがある。

これだ。これだけがどうして残ったのか。
タイルを貼った水飲みなんて、オールドファッションもいいところ。ずいぶん古いものだろう。大船渡の駅、長い歴史を持っていたに違いない。
暫らくして来たタクシーに、「大船渡市民文化会館へ」、と行き先を告げる。「リアスホールですね」、と運転手。

実は、朝8時前、盛に着き、その1時間後にやっと入れたサンリアSCにこういうポスターが貼ってあった。
大船渡で1週間、「はやぶさ」の帰還カプセルなどを展示し、JAXAのエライ学者連中も来る、という。どうしてまた大船渡へ、と思ったが、ポスターを見たら合点がいった。こう書いてある、”世界に伝えてくれた「あきらめない心」”、と。
そうか、被災地の大船渡の人たちが「あきらめない心」で頑張っているので、JAXAが「はやぶさ」を持って支援に来たのか、と。
しかし、そうではなかった。「はやぶさ」と大船渡とは、関係があったそうなんだ。

これは、大気球、パラシュートの模型。
JAXAは、「はやぶさ」が帰還する時に使うパラシュートの実験を、大船渡で行なっていたそうだ。だから、大船渡だそうだ。
背面ヒートシールドだとか、インスツルメントモジュールだとか、さまざまなものが展示されていた。JAXAの学者が説明していた。大船渡で「はやぶさ」を見るとは思わなかった。
それにしても、8時前に大船渡の盛に着いた後、なんであちこちうろついているのか、不思議に思われるお方もおられるであろう。時間があるのです。日に2便の気仙沼へ行くバスへの待ち合わせの時間、7時間以上あるのです。
「はやぶさ」を見た後、盛のサンリアSCへ戻り、店内の食堂で遅い昼飯を食った。店内は暖かい。3時過ぎの気仙沼行きのバスが来るまで、暫らくじっとしていた。
暫らくじっとしているのも、旅のひとコマ。私の旅、どこでもそうだが、暫らくじっとは、よくあることだ。

3時20分、バスは来た。
暫らく走ると、この建物が見えてきた。「大船渡魚市場」という字が見える。
建物自体は、大分被害を受けている模様。しかし、車が多く止まっている。大船渡の魚市場、再開している。扱い量は、まだまだであろうが。