岩手あちこち(18) 平泉(毛越寺)。

久しぶりで平泉へ行こう、とは考えていた。しかし、一関へ向かうJR大船渡線の中で、福島にしようか、と思った。ジパング倶楽部の割引き切符、JR東日本内なら乗り降り自由だし、新幹線も6回までなら指定が取れる。
福島で下りて、福島第一原発の近場、行ける所まで、と。しかし、どう行けばいいのか解からない。どこへ行けばいいのかも。調べてこなかった。今回は、やはり平泉にしよう。一関で帰りの新幹線の指定を取り、平泉へ。
この前平泉へ行ったのは、いつのことだったか。忘れるくらい前である。実はその時、中尊寺へは行ったが、毛越寺へは行かなかった。碌な伽藍があるわけじゃない、大きな池があるだけのようだし、と。おそらく、まだ若かったんだ。若さのバカさだ。
昨年、「平泉・仏国土(浄土)を表す建築、庭園及び考古学的遺跡群」とし世界遺産に登録された、ということがないではない。余計なことを言えば、昨年の平泉のこの登録、大震災で酷いダメージを受けた東北への、ユネスコのお情け登録、という面が多分にあるな、と私は思っている。
それはともかく、今回は、「大きな池があるだけのようだし」、と思って以前行かなかった毛越寺には行こう、と考えた。浄土庭園、浄土なるものを見たい、と。

毛越寺入口。
宝物館や本堂もあるが、それらは省く。

これが浄土庭園の大きな池・大泉ヶ池。

元禄2年(1689年)旧暦5月13日、芭蕉と曽良の主従二人、一関から義経最後の地・高館を訪れる。芭蕉、この句を詠む。
     夏草や兵どもが夢の跡
毛越寺の南大門跡の近くに、この句の碑がある。二つ並んでいる。
古び、また、苔むして読むことはできないが、<左の小さい碑が芭蕉の真筆と言われ、芭蕉の甥・碓花坊也寥禅師による建碑。右の碑は文化3年(1806年)に地元俳人素鳥たちによって建てられた副碑>、と説明書きにある。

芭蕉のこの句、英語訳の碑もある。
新渡戸稲造が英訳、毛筆で揮毫したそうだ。
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大泉ヶ池、向こうの方に人がいる。雪かきをしているのか。

開山堂。
毛越寺を開いた慈覚大師円仁(794〜864年)をお祀りするお堂。

西のほうから見た大泉ヶ池。

嘉祥寺跡。
<「吾妻鏡」によると二代基衡公が工を始め、三代秀衡公が完成させた御堂で、・・・・・>、という説明がある。
ここに限らず毛越寺には、講堂跡、常行堂跡、法華堂跡、大金堂圓隆寺跡といったものが多くある。かっての堂塔伽藍、ほとんどが失われた。      

少し進んだあたりから浄土の池を見る。
一面雪に覆われている。

少し進んでまた浄土を。

通路の雪かきをしている人が何人もいた。

遣水。
山水を池に取り入れるための水路。遣水の遺構は、奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては唯一のものだそうだ。
そんなことより、雪の中の遣水、とても美しく、趣き深い。

手前は鐘つき堂、後ろは享保17年(1732年)に再建された常行堂。元の常行堂は、慶長2年(1597年)野火のため消失した、という。

洲浜。
海岸の砂州を表現しており、やわらかい曲線で入江を形作っている。

出島と池中立石。
荒磯の風情を表現しており、飛島には2.5メートルの景石。
洲浜と出島は、いずれも大泉ヶ池の東南にあり、その対比を楽しめる。曲線と直線。優美さと剛直な様を。

毛越寺の広大な境内には、かっては多くの堂塔伽藍が並び、その前庭に、大泉ヶ池を中心とする浄土庭園が配されていた。
雪中であるが故か、浄土の思い伝わった。