2月11日、靖国。

靖国神社には長い間行っている。行く日を2月11日としてからでも、10年近くになるかもしれない。で、今日は、「岩手あちこち」はお休み。
今日は、さほど寒くもなく穏やかな日であった。建国記念の日の靖国、穏やかであった。

第一鳥居(大鳥居)の先、小さく見えるのは、大村益次郎の銅像。我国初の西洋式の銅像である。
これでは解からないが、大村益次郎、左足を前にして、彰義隊が立て籠る上野の山を睨んでいる。大村益次郎、維新十傑のひとりであり、近代日本陸軍の創設者である。しかし、維新が成った翌明治2年、暗殺される。45歳。

揃いの濃紺の服装で行進する人たち、年配の人が多かった。

今日の神門。
とても穏やか。

今月の社頭掲示。
昭和21年2月15日、ソ連ウスリー州で40歳で戦病死した陸軍伍長の娘たちへ宛てた遺書。
<身体を大切にせよ。自分の身体と思ふな。世の為、神様より御預かりして居るものと思へ>、と書かれている。40歳の伍長であるのが、余計に身に沁みる。

拝殿の唐破風の軒下の幕、紫色である。

それが、はずされる。

代わって、白い幕が取りつけられる。

長い棒で掛けられていく。
警備の人に聞いた。神事のある時には、紫色の幕がかけられ、それが終わると、白い幕にかけかえられるそうだ。普段は白だ、と。


ほんの短い時間で、幕は変わった。初めて行きあった光景である。
一休み、いつものように茶店で甘酒を飲む。去年はいたハーモニカを吹いている人は、いなかった。
昭和天皇は、A級戦犯合祀以来、靖国へは行かれなくなった。今上天皇も、そうである。しかし、天皇は、いずこかで戦争で亡くなった人への祈りを捧げているに違いない。
天皇は、今日、東大病院で心臓冠動脈の検査を受けられた。実は、去年の今日もまったく同じ。東大病院で検査を受けられ、一晩過ごされた。
私は、去年の今日、天皇は、東大病院の病室で、戦争で亡くなった人への祈りを捧げられているに違いない、と書いた。おそらく、今年の今日、2月11日もそうであろう。

帰途くぐった神門の大きな菊の御紋章も日ノ丸も、穏やかな気の中にあった。
去年の神門、大粒の雪が降り募っていたのだが。