雪の靖国。

今冬初の雪らしい雪、終日降りしきる。しかし、湿り気が多く、地に落ちると溶けてしまい、積もるには至らず。
昼前、長命寺へ。墓参。3時頃、靖国神社へ。
靖国神社へ行く時期、2月11日としてからでもある程度となるが、雪の靖国は、記憶にない。
いつもよりは遅い時間であったので、例年ならば多く見られる右翼の街宣車も、ほとんどおらず。わずかに、「世の不条理に天誅」という文字を書いた軽装備の車が4〜5台残っていたのみ。

神門。
扉の大きな菊の御紋章も、降りしきる雪に霞んでいる。

内庭の桜、靖国の桜も寒そうだ。

拝殿。
たしかに、例年よりは人は少ない。しかし、若い人の比率が高い。いつもの年とは時間も違うが、天候によるものが多いのだろう。そうは思うが、若い人たちの靖国への関心、高まっている、ということかもしれない。
傘をたたみ、お賽銭をあげ、二禮、二拍手、一禮の参拝をする。
A級戦犯が合祀されたのは、1978年(昭和53年)である。それ以降、昭和天皇は、靖国への参拝を取り止められた。その経緯、2006年7月、日経新聞のスクープ「富田メモ」で明かされた。昭和天皇の怒りが。
このことに関し、保坂正康は、その著『昭和史の大河を往く 「靖国」という悩み』の中で、こう記している。
<昭和天皇はA級戦犯14人の合祀を不満として、靖国参拝を行わないと考えると、のこりの246万余の祭神に対しての慰霊を、まったく別のところで行っているとも考えられる>、と。
このこと、昨年も記した憶えがあるが、私も同じである。畏れ多いことではあるが。ただ、ごく普通の私人である私は、それを社頭で表しているにすぎない。
今日、今上天皇は、東大病院で、冠動脈の造影検査を受けられた。いささかの動脈硬化が見られる、とのことだが、手術には至らず、薬の服用で経過観察される、とのこと。今日は、東大病院にお泊まり、とのことだが、ひとまず良かった。
その天皇、今日、今ごろ、東大病院の一室で、祈られているのじゃないか。A級戦犯14人を除いた246万余の霊に対し。私は、そう思う。
ご父君・昭和天皇の足跡、ことごとく精査されている今上天皇、おそらく、そう為されているに違いない。

今月の社頭掲示。
昭和19年2月24日、中部太平洋方面で戦死した、陸軍少尉・前田健三命の遺書である。両親へ、妻へ、そして、子供たちへの遺書である。

到着殿前の年経た桜木。
小さな虚状になっているところには、雪が残る。

神池庭園。
洗心亭の前は、今日は人の通りがないようで、雪が積もっていた。鯉は、元気だった。水の中のほうが、温かいのであろう。

池を巡る人も。

帰途、神門から九段下方向を望む。
門の間から、雪に霞む大村益次郎像が見える。その先には、第一鳥居(大鳥居)が、雪に煙ってボンヤリと。
なお、木造の神門の右側の柱の横の柱は、青銅製の第二鳥居である。

その第二鳥居にも、雪が降りしきっていた。
寒い。
で、第二鳥居の先の茶店に入り、甘酒を飲んだ。暫くすると、ハーモニカの音色が聞こえてきた。「夕焼けこ焼け」の調べが。
靖国でのハーモニカ、ここ数年聞かなかった。で、それが終わった後、声をかけた。「毎年、この日に来ているのですが、ここ2〜3年聞かなかったような気がするのですが」、と言って。するとその人、「私は、毎年来ています。もう10数年になります」、と言う。「私は、職人なんですが、仕事の休みの日には、ここに来てハーモニカを吹いてます」、とも。
吹き続けているワケでもないだろうから、ここ2〜3年に通りかかった時には、気がつかなかったのだろう。「失礼ですが、お年は?」、と聞いたら、私より若い。「あなたは?」、と聞かれたので、「昭和16年です」、と答えた。「ああ、開戦の。何か靖国と関わりが?」、と聞かれた。
「いや、特にはありません。満洲で生れたものですから、記憶はないのですが、戦争のことはさまざま考えます。どうこう言われる靖国のことも」、と。
「もし、よろしければ、何か満洲の歌を吹いていただけますか?」、と言った。「ここはお国を何百里・・・・・」、という曲でも、と。「ああ、満洲なら、満洲娘かと思った。戦友ですね」、と言い、吹いてくれた。
その後、気になっていたことを聞いた。「何年か前まで、女の人もハーモニカを吹いていたような気がするのですが」、と言って。「ああ、今は来ていません。寒いので。暖かくなったら、また来ます。あの人、昭和3年生れなんですよ。まだ元気ですが、寒い時には、やはり来ないが、暖かくなれば来ます」、と言う。「今、ハーモニカを吹く人は、4人いるのですよ」、とも言っていた。
「最近は、先生に連れられて、小さい子供も来るのですよ。その子供が、おじさん、モニョをやってくれ、なんてことを言うんですよ。それで、私も、モニョを覚えましたよ」、とも言っていた。
「お元気で」、「あなたも、また」と言って別れた。
初めは気がつかなかったが、話しているその人の手には、ワンカップ大関が握られていた。
雪の靖国、来年もそうなればいい。