岩手あちこち(13) 盛。

9時にサンリアSCが開くまで、、まだ1時間少しある。時折り細かい雪も舞う。とても寒い。
24時間開いているマクドナルドやドトールのような店はない。せめてコンビニでもあれば、と思うが、それもない。自動販売機さえなかった。
おそらく、私が着く前からそこにいた、と思われる男と話した。30代とも思えるし、50近いとも思える。この寒さの中、帽子も被っていなければマフラーも巻いてはいない。上着の襟も開いている。8時30何分のバスで陸前高田へ行く、という。大船渡に住んでいる、という。
しかし、不思議だ。それなら何故、30分以上も寒いバス停に来てなければならないのか。それとも、大船渡の離れた所に住んでいて、サンリアSCから出る陸前高田行きの8時30何分のバスに乗るためには、やはり早い時間のバスしかなかったのかもしれないのか。
仕事で行く、という。陸前高田の友だちから頼まれ、家の工事に行く、と話す。「去年の津波の時は、あなたの所は大丈夫だったんですか?」、と尋ねる。「オレん所は大丈夫だった」、と言い、「大船渡は酷かったが、盛にも津波は来た。このサンリアもここぐらいまできたんじゃないか」、と手でサンリアの建物に示す。6〜70センチぐらいの所だった。
その内、突然その男、「親が死んだんだ」、とボソリと言う。「親父が75で、お袋は72だった」、とも。「大船渡で?」、と聞くと、「いや、陸前高田だ」、と言う。「そうですか」、としか言えない。
暫くして、8時30何分発の陸前高田へ行くバスが来た。この男、後ろも見ずに乗り込んだ。
死者、不明者合計2万人弱の中の2人は、このバス停の前でたまたま会った男の親御さんだったのだ。今の三陸の地、死が身近にある。

やっと9時になりサンリアSCの扉が開いた。店内に入る。まず、自販機で温かいコーヒーを買う。外は、ともかく寒かった。
入口のすぐ側、”再起復興、再起復興”の文字ばかり。

こちらは、”町おこし、スタート、立ち直れ、つなぐ手、・・・・・”。
大船渡市内の小学生から高校生まで、すべての生徒がこの字を書いたのであろう。

こういうものもあった。
フランス在住の日本人カメラマンがマルセイユで復興支援の催しをした、という。盛の七夕の写真や被災地の写真を展示して。で、在留日本人やフランス人から、支援のメッセージが届いた。

サンリアの店内には、こういうコーナーも。
絆グッズや、高田松原の被災木で作った念珠やブレスレットなどを売っている。

階段の踊り場には、こういうポスターが。
暫らくの間、店内で買ったおにぎりを食べ、店内で暖まる。持っていた小さなバッグも店内のコインロッカーへ預ける。
一番かさばるもので釜石の宿で使った厚手のパジャマ、一番重いもので折りたたみの傘、というごく小さなバッグだが、それでも、何も持たずに外へ出られるのはありがたい。
すぐ近くの三陸鉄道、盛駅へ。

盛駅のホームには、釜石行の電車が1両止まっている。
後で聴いた話では、何人かの人が押して、人力でホームまで運んだそうだ。
     見たまへこの電車だつて
     軌道から青い火花をあげ
     もう蜴かドラゴかもわからず
     一心に走つてゐるのだ
宮沢賢治 「昴」から4行のみ。
3.11まで、三陸鉄道の盛駅からは、”蜴かドラゴ”ではなく、”駝鳥かピューマ”のような心意気を持った電車が、三陸のリアス海岸を一心に走っていた。

表へ回ると、かっての盛駅、「ふれあい待合室」となっている。

中へ入る。熱いお茶を出してくれる。
三陸鉄道の関連グッズの販売も。

かっての三陸沿岸、鉄道で結ばれていた。
大船渡から延びた盛から釜石までは、三陸鉄道南リアス線。釜石から宮古までは、JR山田線。宮古から久慈までは、三陸鉄道北リアス線で。
今、運行されているのは、北リアス線の一部のみ。南リアス線は、全線復旧の見込みが立っていない。

待合室の中、こういう壁面も。
”願”とか”進”とか”皆”という字が書いてある。”毛布無料配布”というものや、”三鉄歌声列車”というポスターも。

「ホームの方へもどうぞ」、ということで待合室を出ると、ダンボール箱に衣類が。
乳児用ロンパスとか、オーバーも。必要な人に持っていってもらう、と言う。もちろん、無料。

ホームへ渡る陸橋の通路には、さまざまなものが貼ってある。
これは、「さんてつ通信 第1号」。

陸前高田の奇跡の一本松の写真も。
その左の「さんてつ通信 第10号」には、<三陸鉄道盛駅は、10月5日から「ふれあい待合室」となりました。・・・・・通常は待合室でお茶を飲みながら・・・・・>、と書いてある。
大きな打撃を受けた三陸鉄道、めげていない。頑張っている。いわゆる鉄ちゃん・鉄道オタクには、三陸鉄道ファンもいるようだ。しかし、それだけでは復旧にはおぼつかない。やはり、地域密着の努力が不可欠のようだ。

きれいに洗われた貨車の胴には、「ご支援ありがとう!」の文字が見える。
この貨車が、また走る日がくればいい、と思う。しかし、現実は、とても難しい状況にある。

釜石行きの電車1両、「今日はあの電車の中でカラオケ大会があるのです」、と「ふれあい待合室」の人は言っていた。

盛は、一関から大船渡を経て盛へ来るJR大船渡線の終着駅。そして、釜石へ行く三陸鉄道南リアス線の始発駅であった。

改札口の上にかかる「またのご乗車 おまちしております」の言葉、今は重い。
大船渡の中心部、大船渡駅そのものが無くなった今は。