岩手あちこち(8) 遠野(大工町)。

遠野、遠野郷だ。その周辺、『遠野物語』にまつわるところが多くある。伝承園、カッパ淵、南部曲り家、ダンノハナ、・・・・・。
しかし、私はそのいずれにも行かなかった。『遠野物語』で十分。何より郊外を歩きまわるのは、あまり好きじゃない。町中だけを歩いた。
遠野は、遠野南部氏の城下町。職人が住んでいた通りがあり、藩士が住んでいたところもある。当然のこと寺町がある。寺町は好きだ。そこを歩いた。一辺数百メートルといった範囲を。

駅からも近い大工町。
寛文の初め(1661年)、南側は職人町として開かれ、北側はお筒同心が住んでいた。明治になり合併し、「大工町」と呼ぶようになった、と書いてある。

少し歩くと、横町の向こうにお寺が見える。萬福寺。

入って行くと、その境内、このよう。
遠野市指定文化財、江戸期の儒者・久子翠峰の墓、という立て札があった。

通りに面した家の横に、こういう板がある。
「無形文化財 遠野南部流鏑馬保存会 事務所」、という看板が。遠野の流鏑馬があるんだ。

少し先の横道には、このお寺。浄土宗 金光山善明寺。
<文禄元年(1592年)、最初八戸に善明上人により開山されたが、南部氏が遠野に移るのに伴い・・・・・>、と看板に記されていた。

山門の前。「下馬」の札。

境内に入る。
暫らくすると、2〜3人、また、3〜4人連れの人が次々と来て、本堂脇の庫裡の方へ入って行く。何らかの講でもあるのかもしれない。

こういう一角も。

オッ、この横道の奥もお寺だ。

入って行く。臨済宗妙心寺派 鳳徳山瑞應院、とある。
<遠野南部氏第二十二代直栄公が、娘まん姫の菩提を弔うために草創した・・・・・>、という看板があった。

大工町の通りの突きあたりの少し右手に、来内川にかかる橋がある。
木製の小さな橋。「りゅうげんじはし」と書いてある。その向こうにもお寺が見える。

「りゅうげんじはし」の上から見た来内川。流れも細い。でも、何とも言えない、こういう光景。
雪がある。水が流れる。どう言えばいい。言いようがない、という光景じゃないか。

橋を渡るとこのお寺。曹洞宗 宝林山柳玄寺。
<福聚山大慈寺十世の観応存真和尚が隠居して草庵を結び、竜源居庵と号していたのが始まりという。・・・・・>、という看板がある。寺までの足許滑りそうなので、中へは入らなかった。

その先の橋の上から川原を見ていたら、白い鳥が目についた。雪に溶けいりそうな白い鳥。
ちょうど通りかかった中学生らしい女の子2人連れに聞いてみた。「サギじゃないですか」、という答え。そうか、白サギか。「黒いのはカモ?」って聞くと、「ウーン、そうかなー」、という答え。女子中学生のお二人、鳥などにはさほどの関心を持たれておられない感じであった。
そりゃそうだ。鳥よりはAKBだよな、きっと。それでいい。
私は、暫らく眺めていた。と、突然、「カー」とひと声カラスが鳴いた。その声を聴くやいなや、サギもカモも一斉に飛び去った。カラスが恐いようだった。
小さい川だが遠野の川だ。雪を被った枯草の下あたりにカッパがいるのじゃないか、と思い少しの間見ていたが、それらしきモノはいなかった。

カッパは、遠野駅前の郵便ポストの上にいた。
なお、右のミッキーマウスのポスターは、東京ディズニーリゾートへ、というJRの誘い。東北の人限定で、特別プレゼント付きであるようだ。
当たり前ではあるが、JR、関東の人間にはお安くするから東北へ、と誘い、東北の人にはお得な特典付きでディズニーリゾートへ、と誘っている。いいんじゃないか。多くの人が、JRのその誘いに乗ることが望まれているのじゃないかな。昨今の情勢。

それはともかく、おばさんが雪を掃いているこの道の奥もお寺じゃないかな。

神社もある。ここは多賀神社。
しかし、階段を上がるのはきつい。だからパスした。
私が遠野で歩いた範囲、一辺数百メートルの範囲にすぎない。でも、寺町面白かった。
この後、また柳翁宿へ行った。ここも一辺数百メートルの範囲内。前日はフキノトウを採りに行っていた話好きのおばさん、この日はいた。暫らく話した。「また来てくださいよ」、と言ってくれた。また行きたい。
実は、遠野で会いたい人がひとりいる。約束の時間は、2時40分。話好きのおばさんと暫らく話した後、駅へ戻り、待合室のストーブでそれまでの時間、暖まる。