バンコク散歩(3) ワット・アルン。

ワット・プラケオの後はワット・アルンへ。
すぐ近くなんだ。チャオプラヤー川の川向う。

こういう道を歩き・・・

船着き場へ。

船の代金は4バーツ(13、4円)のようだ。

お坊さんが並んでいた。

桟橋。ここから船に乗る。

この船へ。

すぐ先にワット・アルンの大きな仏塔が見える。

先ほどの船着き場を振りかえる。

川上になるのか川下になるのか、こちらの方はこう。バンコク、都会である。

ほんの数分で対岸へ着く。大きな仏塔がすぐそこに。

ワット・アルンの大仏塔、高さは75メートルあるそうだ。

どこから来た人であろうか、肌の色の黒い人の団体がいた。
その纏め役のような人が着ているTシャツの背中には、何故か”WHITE”の文字。

ワット・アルン、「暁の寺」である。
三島由紀夫の『豊饒の海』第三部「暁の寺」の「暁の寺」。三島由紀夫は『豊饒の海』第三部を書く時、インドのバラナシとタイのバンコクを訪れている。このワット・アルンも。

永くタイを統治されたプミポン国王が亡くなり、新たに即位された国王の大きな写真がある。

暑い日差しの中、頭をすっぽり覆った庭師の男が手入れを行っていた。

貸衣裳屋がある。
肩が出ている服や襟ぐりの深いもの、タンクトップやショートパンツ、ミニスカート、腰パンやへそ出しルック、それらはすべてバツ。入ることは許されていない。そのような人に衣装を貸しますよ、という看板。
デポジット100バーツ、貸衣裳代20バーツ、と。
趣き深いお寺だが、商売は商売というところか。

仏塔の表面は、さまざまな色合いのタイルで覆われている。

仏塔には、何層もの回廊がある。
初めの階段を上る。2、30段程度の階段だが、勾配がきつい。あと5、6段というところで立ち止まってしまった。暫らくじっとしていた。
と、タイの人であろう若い男が私を支えるようにして上へあげてくれた。「ありがとう」、と礼を言い暫らく休んだ。

下を見ると、こう。
いやー、とんでもない急勾配である。

最初の回廊、このようなところを周る。さらに上へは行かなかった。これで十分である。十分すぎる。
階段では今まで「いやーまいった」、という思いを何度かしている。
メキシコのテオティワカンだったかチチェンイッツアだったか石のピラミッドへ上った。上る時はよかったが、降りる時には往生した。落ちて死んじゃうんじゃないかって思った。何所だったかスペインの高い鐘楼へ上った時もそうであった。行きはよいよい帰りは怖い、である。アンコールワットでは他の人が上へ上っていったが、私は下で休んでいた。

このワット・アルンの最初の一層である2、30段の階段を下りる時も大変であった。
あと6、7段で下へ着くという所で動けなくなってしまった。じっとしていた。
と、若い女の子が寄ってきて、私の手を取り下へと導いてくれた。助かった。「ありがとう。あなたもタイの人か?」、と訊いた。「いいや、そうじゃない」、との答え。「じゃあ、どこの人なんだ」、と言った。「「中国人です」、と返ってきた。
習近平が表舞台へ登場して以来、私は中国のことを毛嫌いしている。中国のことは何でもかでも嫌いになったんだ。
その中国の若い女の子が動けないでいた私を助けてくれた。為政者が嫌いであるからといって、その国やその国民をどうこう思うのはまずいよって思い知った。若い中国人の女の子によって。
その女の子、私を下へ下ろした後、すすっと上へ上がっていった。この真ん中に写る小さなリュックを背負った女の子である。この女の子、いつまでも私の心に残るであろう。

下へ下りた後、このようなところを廻る。

上を見ると、元気な人もいる。

出口近く、絵を描いている人がいた。どうも売り絵を描いている。
観光地の売り絵、何処でも具象画が定番であるが、この人は絵具をどんどん貼りつけている。これを生業としているのであろうから、これはこれなんだな、と思う。

戻る。
チャオプラヤー川の船着き場へ。

対岸へ。